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「臨機応変」とは、
自分がしていることに対して、その場その時の状況に応じて適切な手段を講じること。
これの対義語が「杓子定規」で、一定の基準でしか物事を見ようとしないこと。
私は今は少しマシになりましたが、以前は杓子定規にしか考えることが出来ませんでした。
コロナにしろ、オリンピックにしろ、杓子定規に考えるから、
一番大切な現場が置き去りにされます。
芸能というものは、人々の心を和らげ、身分の上下を超えて
皆が一体となれる感動を生み出せるもので、
いつまでも人々に幸せと健康な人生を提供するものだと書かれています。
例えば、能の「風姿花伝」で世阿弥が残した言葉には、
上流階級の人々が観るにあたっては、その要求に合う演技をするから問題はないですが、
身分の低い人々にとっては、高いレベルの演技はなかなか理解することは難しい。
と言われています。
よって、全ての人々喜ばせることはできません。
しかし、能の初心を忘れず、時に応じ、場所に応じ、芸の善し悪しがわからない人にも
「素晴らしい」と思えるような能をする事こそ、人々を幸福にする一流の芸人への道なのです。
その為には、絶え間ない自己研鑽によって、自分を高め、魂を磨く事が必要です。
「芸というものは、誰に対しても分る芸でなければならない」と。
様々な価値観の中、能力や環境の違う人々に対して、臨機応変にわかりやすく伝えるのが、
芸のみならず、現代でも何かやる時に必要な事だと思います。
「古きを温ね新しきを知る」という言葉がありますが、これも、
先人の学問など、昔の事柄の研究を通して、新しい意味や価値を再発見する。
という事で、臨機応変にその時代の価値観にあわせ、古きよきものはそのまま残しながら、
新しいものへと変化させていくのではないでしょうか。
よって、臨機応変に出来るという事は、かなりの自己研鑽が必要で、自信を高めておかないと
できない事ではないかと思います。
現在の古典芸能の世界でも、若手と言われる方々が、
如何に若い世代にもその良さ、面白さを知ってもらおうと、
時代を取り入れながら工夫されています。
それでこそ、色々な人達に喜んでもらい、感じてもらい、感動してもらうのだと思います。
いま、やっている何かでも、途中で事情が変われば臨機応変に対処する。
しかし、最初からの目的や本質は変えない。
という所にみんなが付いていくのではないでしょうか。
じゃ、また明日!