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教える側の方がよく言われるのは、
「アドバイスを求めて来ているのに『言うことを聞かない』『言ったことを実行しない』『アドバイスを試そうとしない』。よって教わる姿勢が無いから、成長しないのだ」と。
これは何人もの方が同じようなことを口にされています。
確かに、言われたことを言われた通りに実行しないから、成長はありません。
ことは簡単で、言われたことを言われた通りにやりさえすれば、出来る筈です。
しかし、と、ここでの「しかし」は、言い訳に過ぎないと言われるのもわかっています。
が、出来ない私の言い訳の中身がわかってきました。
教える側の方々は原理原則を教えて下さっているのです。「やればできる!」と。
その「やれば」が直ぐに実行出来ないのが現実です。
例えば「泳ぎたければプールに入って泳ぐ練習をすれば良い」
これ以外に正解はありません。
いくら畳の上で手足をバタつかせても泳ぐことはできません。
泳ぐ為にはプールに入るしかないのです。
プールに入る為には、まず水への恐怖を克服するしかないのです。
確かに水の恐怖を取り去る為に、無理にプールに放り込む方法もあるでしょう。
それは乳幼児なら恐怖心もまだ経験していないので、自然と泳ぐでしょう。
しかし、何十年も経った恐怖心、自己防衛心を身に付けてしまった大人なら、その恐怖心を先ず解かないと、逆に恐怖心が増したり拒否反応が出てきたりします。
先ずは水に対する恐怖心を除かなければ、言われた事をすぐに実行出来ないのです。
まぁ教える側は、水に対する恐怖心があるのもわかった上で、水に入るようアドバイスされているのだとは思いますが・・・。
「言われたことをすぐに実行出来ないのはなぜか?」 水への恐怖があるから。
「水への恐怖を無くすにはどうすれば良いか?」 自分のカラダを水に慣らしていくしか方法はないのです。
その為には、浅い腰までの所で歩いてみる。腰までの恐怖心が取れたら胸までの深さの所で歩いてみる。
胸までの深さの恐怖心が無くなれば、顔を浸けてみる。
そうやって水への恐怖心を取り去り、水への興味が出てきて初めて、教わる準備ができるのです。
アドバイスを試すには、試すまでの準備が必要だったのです。
その準備を抜きにして、いきなり50mを泳ごうとするから「出来ない!」の連続で終わってしまうのです。
教わる為の準備も出来ていない時から教わろうとしたり、自分のレベルも把握せずに高度なレベルを教わろうとするのは、自分で自分の首を絞めるだけです。
教わる為には、そのレベルの教わる姿勢の準備が必要だったのです。
じゃ、また!