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我々は行動した事が全て学びになっていきます。
よって「いろいろ経験せよ」と言われるのです。
私は振り返れば、環境を変えたり、カラダを動かして何処かへ行ったりとかの
経験はほとんどありません。
その為、人さまに話せるような経験は皆無に等しいです。
自分を知るという事は、自分の言動に対する他者の反応を見て、
その反応で己を知ることになります。
自分の思った事が正しいのかどうか。
独りよがりの考えに陥っていないだろうか。
その為には、他者の反応を見て学ぶしかありません。
若い時から色々な経験をしていれば、いちいちそういうことをしなくても、
わかり切った事として処理できたかも知れません。
しかし、経験の数が少なければ、今更であったとしても、
それをぶつけてみるしかありません。
ぶつけてみて、それがうまくいかなければ考え直す、修正する必要があります。
上手くいけば、間違ってはいなかったのだと、自信を持てばいいのです。
すごろくのように、前に進むか後に戻るか。
それの繰り返しで、あくまでも方向は前に進むのみ。
最終の「あがり」に辿り着くまで、やり続けるしかありません。
論語に「学びて思わざれば則ちくらし」と言いうのがあります。
『教えて貰うだけで自分で考えないのは、しっかり身に付いたことにはならない。
学問には自主的な勉強・施策が必要である』
この自主的な勉強というのが「行動する」という事ではないかと思います。
「転んでもただでは起きない」というのも、
例え失敗した場合でも、そこから何かを得ようとする、根性のある人。
と、例えられます。
結局、無駄な経験は何一つなく、全て何かしらの学びがあるという事です。
相田みつを氏の
「一生勉強 一生青春」というのがありますが、
人は自分の魂を磨き続けるには、一生をかけて学び続ける必要があるようです。
じゃ、また明日!