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「善」か「悪」か。「白」か「黒」か。
これらは絶対的なもののように思ってしまいます。
私も「善」と「悪」は絶対的なものだと思っていました。
では、何をもって「善」と云い、何をもって「悪」と云うのか。
その源はというと、
昔から親が言ってたから。
学校の先生や皆が言ってたから。
社会でそういう判断をしていたから。
そういうものだと思っていたから。
結局は、自分で考えたことが無かったのです。
1つ1つ自分でその定義を考えたことなど無く、なんとなく昔から、
自分の中でそう思うから、そうであったに過ぎなかったのです。
しかし、物事の価値観は時代によって変わるし、その時の社会情勢によっても変わります。
そうであるならば、「善」と「悪」も絶対的とは言えないのではないだろうか?
と、思ってしまいました。
オリンピック・パラリンピックを開催「する」「しない」
新型コロナウイルスワクチンを接種「する」「しない」
これらも1年前と比べたら、「する」「しない」の比率が入れ替わっています。
結局は状況の変化により、判断も変わってくるのです。
それが当たり前だと思います。
「する」と言ったから、何が何でも「する」となれば、
それが本来の目的に適っているのかどうか。
本来の目的から逸れて、違った目的になってしまっていないかどうか。
じっくり考える必要があると思います。
ネットの時代に入り、何事も数値で判断されるようになりました。
確かに数値で出されると、比較しやすいし、わかりやすいです。
しかし、そのわかりやすさが、本来の目的・行動とどれだけ一致しているのか。
ここが大切な部分だと思います。
特にそれがお金と絡んでくると余計にです。
you tuberも「いいね!」の数とお金とが絡んでくると、
如何にみんなが「いいね!」って言ってくれる内容を発信しよう!だったのが、
如何にみんなの「いいね!」の数を増やそうか! に変わってきています。
本来なら「いいね!」は「善」だったのです。
しかし、目的が変わり「いいね!」の数集めになってくると、極端に言うと
私の中では「悪」に変わって行くのです。
「善」「悪」は絶対的なものではなかったのです。
それは、相対的なものだったのです。
そうであるならば、今までの自分の中の「善」「悪」の定義を、
自分で考えるしかないようです。
物事の絶対的なものとして浮かび上がるのは、今の所自然界かなと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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