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人は手放すことが苦手です。
なぜなら、手放してしまったら自分には何も残らないと、不安になるからです。
或いは、固執や執着が強くて手放せないのです。
しかし、自分の中で一番自分の邪魔をしているのが、固執や執着です。
なぜなら、それに囚われている時は、固執や執着からだけの考えしか浮かんでこないからです。
本当は、もっと違う解釈、もっと違う考え方があるはずなのに、
そちらの方には目が向かないのです。
自分の中の固執や執着が、自分にとって問題であるという事に気が付かないのです。
それが問題であると意識出来れば、
自分を邪魔している固執や執着を手放すことができると思います。
そもそも、その固執や執着は、本当に自分の心の底から湧き出たものかどうか。
もしかしたら、周りの価値観によってもたらされたものではないだろうか。
もしかしたら、マスコミを信じて自分の中で作り上げたものではないだろうか。
など、考える余地が沢山あるのです。
もしもそれらを手放すことが出来たなら、固執や執着で埋められていた空間に
自分は何を入れるのだろうかと思います。
自分の夢や、やりたい事。
それらはむしろ持ち続けていた方が良いと思います。
何かを手放さないと、新しいものは入ってこないのです。
いつまでも握りしめていたら、新しいものが掴めないのです。
昔、小学校の運動場に雲梯(うんてい)と言って、はしごの上下両端に支柱を立てて、
水平に支えていた用具がありました。
横になったはしごの一本一本を掴んでは反対の手で前の横棒を掴み、
掴んだら、握っていた方の手を放して前の棒を掴む。
これの繰り返しで前へ前へと進んで行ったのでした。
手放さないと前の横棒は掴めないのです。
古い横棒から新しい横棒を、後ろの横棒から前の横棒を、と。
古いもの、過去のものを手放せないと、新しいものは手に入らないのです。
よく言われている「なぜそれをやるのか」という考えさえも手放せば、
気持ちも楽になってくるように思います。
「なぜそれをやるのか」は、もしかしたらやっているうちに、
わかってくるのかも知れません。
「手放して気付くこと」
それは固執や執着がいかに自分自身をがんじがらめにしていたか、
という事です。
手放して隙間が出来たら、また新しい何かを入れれば、
新しい自分を見つけることができると思います。
じゃ、また明日!