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人と話をする時、なるべく相手を理解しようとします。
そして、理解しようとして聴いていたつもりです。
しかし、よくよく考えてみれば、相手を理解しようとして聴いているのではなく、
相手に答えようとして聴いていたかもしれません。
相手が話している中で、自分もそういうことがあったなら、それを取り出してきて、
「私もそうだったのよ」とか「私の場合はこうで」とか、
相手が私に聞いていないにも拘わらず、自分の話をしていたような気がします。
この場合、相手は自分の話を聴いて欲しいから話しているのであって、
私の同じような経験を聴きたい訳ではありません。
それを勘違いして「あなただけじゃなくて私もよ!」と、
相手の話に乗っかって、自分のことを話したに過ぎないのです。
これは相手を理解しようとする姿勢ではありません。
なぜなら、その話で相手の中で何が起きているのか、最後まで理解できていないからです。
本当に相手の立場に立ち相手が見ている世界、相手が感じている世界を理解したかと言えば
そうではなく、ただ、相手の話に賛成して、自分の経験を話しただけに過ぎなかったのです。
「聴く」には3つのパターンがあるようです。
「感情を聴く」「意味を聴く」「行動を聴く」
そうでなければ、相手の心の中をありのままに見ることが出来ず、
自分が勝手に自分の感情や解釈を付けてしまうからです。
これは相手を理解しようとして聴いている姿勢ではありません。
相手にとって何が本当に大切なのかを、理解できていない聴き方です。
よって、ただ相手の話を聞き流しただけで、本当に相手を癒したことにはなりません。
話し終わった時に相手が、
自分は「理解されて」「認められて」「愛されて」「必要とされ」ている自分なのだと、
感じてくれることができたのかどうか。
今までの自分を振り返ってみると、聴き役が多かったと思っていたことが、
現実は聴いているフリをして、自分のことを喋りたかったのかも知れません。
確かに相手はただ聴いて欲しいだけで、何も私に答えを望んでいた訳ではないのです。
そこを勘違いしていたような気がしてきました。
相手と本当に話したい、相手と意思疎通をはかりたいと思うなら、
自分が相手をどのくらい本当に理解しているのかに、かかってくると思います。
今更ですが表面上だけではなく、相手を本当に理解して対話していきたいと思います。
じゃ、また明日!