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ドキュメントのビデオを見ました。
障害児学級の先生が子供たちの事を語っている映画です。
そこに出てくる子供たちは感性が磨かれていて、絵の上手な子、詩の上手い子がいました。
先生とは何年もかかってやっと返事をしてくれる子もいました。
返事をしてくれるようになった頃、先生がその子に聞きました。
「どうして、返事をしてくれるようになったの?」って。
するとその子は「先生が信頼できる人かどうかわからないうちは、お話出来ない」
と、返してくれました。
先生は、話しかけてすぐに返してくれるのが当たり前だと思っていたのは、
自分の思い込みであって、
相手は自分がどんな人間であるか、じっと観察していたのだ、と。
それからその子は自分の思ったことをどんどんお話してくれるようになりました。
その子は自分の想いを詩に書きます。
純粋な心で見たままを詩に書きました。
先生はその詩が素晴らしいので自分のクラスだけで発表するのは勿体ないと思い、
冊子にして配りました。
その冊子は好評でした。
やがて先生と別れの日がやってきます。
その子が最後に言ったのは、
「自分が障害を持って生まれてきたのは、それなりの役割があって生まれてきた。
だからもう一度生まれ変わるとしても、また同じ自分で生まれ変わりたい」と。
人は誰しも、何らかの役割を持って生まれてきていると思います。
それに自分自身が気が付いているかどうかの違いです。
人は障害をもっている子を見ると「かわいそうに」と思ってしまいます。
しかし、それは自分側から見た見方、感じ方。
反対に障害者の子から見たら、障害者でない人が「かわいそう」かも知れません。
毎日毎日、苛立って、愚痴や悪口を言って生きている。
それが本当に幸せな生き方なのか。
今、もしも自分に問われたら、自分自身はどのように答えるのでしょう?
もう一度同じ人生を歩みますか?
それとも違う人生を歩みますか?
じゃ、また明日!