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自分に対する責任逃れをした結果が、今の自分です。
最近になって、責任逃れをしていることさえ気付いていなかった自分に、
気付きました。
5月3日「語ろうメディアの未来~委縮と分断を超えて」
というイベントを視聴しました。
ライター、TVプロデューサー、哲学研究者の3人の対話です。
コロナ以前のメディア界では、労働環境の悪さにより雇用形態は、
正社員、フリーランス、契約社員など、色々あったようです。
その結果何が起こったかというと、日々のニュースバリューが出来ないという事。
ニュースを管理するのはTV局員のはずが、人数軽減でチェックできない状態。
となると、ニュースの確かさを守る余裕がない=責任が取れない。
「言論の自由」すら考える余裕がない状態です。
メディアはいつの間にか威圧するような状態になって来て、
責任の所在がわからない中で「怒られたくない・傷つきたくない・責任を取りたくない」
よって自分で判断することを避け、本当にそれがOKかどうかわからないままに
ニュースとして流してしまう。
ラジオや出版社は誰と仕事をしているのかは、わかりやすいけれど、
TVは誰と仕事をしているのかわからなくなってくるのが現状。
映像もフリーランスが頼まれてやっているだけだから、
そのニュースの中身はチェックしていない。
そもそもフリーランスの定義すら出来ていなかったので、TV局が危ういのは見て取れる。
コメンテーターに対しても「こういう事を言ってください」
「こういうスタンスで言ってください」と圧力をかけているので、自由さがない。
自由さがないと、その人が今思っていることがわからない。
「誰も責任を取りたがらない」という部分で、
「旭川14歳少女凍死事件」の担任の対応、校長の対応、教育委員会の対応が
重なって見えてきました。
保護者が担任に相談をした時
「今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか?」
これが教師という仕事のあるべき姿勢なのかどうか。
この発言がまさか本当だとは思っていなかったのですが、
保護者会で問いただされると、担任は黙って他の教員の影に隠れていたとか。
少女が通っていた学校の校長はアンケートでは
「いじめがあるという結果は上がっていないです」
これは真摯に実態を把握しようとしたアンケートなのか、
やらされているからやったアンケートなのか、記名式のアンケートなのか。
それによって情報の把握は違ってきます。
旭川市教委は「当時通っていた中学校から『いじめはない』との報告を受けていた」
としています。
私のようなど素人でも、少女が川に飛び込んだり精神的に不安定になれば、
何かあるなと気になります。
それが、これら教育専門の方々が感じないはずはないと思います。
感じていたのはただ1つ「責任を取りたくない!」だったのかと思います。
本日のイベントのメディア界、教育界。
「責任を取りたくない」同じ体質を感じてしまいました。
そして、メディア界の視聴者を馬鹿にしたような作り、
教育界の保護者を馬鹿にしたような説明会。
これもまた、共通するところであります。
メディア界でも真実を伝えようとしている人はいます。
教育界でも、生徒の事を真剣に考えて教育をしている先生もいます。
しかし残念なことに「見て見ぬふり」や「責任逃れ」が、
人の命を奪ってしまうのです。
そしてより残念なことに、誰一人「自分にも責任があった」と、
今のところ感じていないのです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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