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人の痛みがわかる人と、人の痛みがわからない人がいます。
個人での人間関係の事ならまだしも、それが仕事となると間違いを犯してしまいます。
私は、人の痛みがわかる人は「苦労の多い人」や「痛みの経験がある人」が、
人の痛みがわかる人だと思っていました。
確かに、苦労や痛みの経験をしていれば、人の痛みもわかると思います。
しかし、そればかりではありませんでした。
他人への理解や優しさは、それ以上の原因があったのです。
それは、そのことに対して「思考しているか」「思考していないか」だったのです。
つまりは、その出来事について深く考えたり、本質を突き詰めたり、
なぜそのような事が起こったかについて、深く考えているかどうかに関係してくるのです。
1つ1つの出来事に対して、その都度、自分なりの解釈や答えのようなものを、
きちんと見出したかどうか。
終わってもいないのに、終わったつもりになって忘れていないかどうか。
それが同じ過ちを繰り返すかどうかになってくるのです。
それは、若かろうとも年齢を重ねていようとも関係なく、
その事を考えているかどうか、自分なりの解釈や答えを出しているかによります。
1つの経験から、悪い事であったとしてもそこから何かを学んだり、
得ようとして考えたかどうか。
考えていれば、同じ過ちは起こらないだろうし、対策も決まるはずです。
人生経験を積むほどに、人の痛みもわかる人になって行くと思います。
例えば、コロナ期の第三波の今、お店関係の人は厳しい条件の中で何か考え、
必死になって生き残る策を考えます。さもないとお店が潰れてしまうからです。
片や公務員関係。
お給料は減りません。仕事もあります。今まで通りの生活で何も変わりません。
第一波が過ぎた時、次の為の対策を考えていたでしょうか?
第二波が来た時、手を打つと同時に第三波を防ぐ為の手立てを打っていたでしょうか?
考えるという事は同じことを繰り返さないよう、
次の手を打っておくという事だと思うのです。
1つの経験をしたら、そこから何を学び、防ぐためにはどうすべきかを考える。
それが仕事ではないでしょうか?
考えても、考えなくてもお給料は同じなのです。
自分達には降りかからないから、自分事として考えられないのです。
確かに考えている人もいます。なのに考えていない人の力が強いのです。
いじめ問題でも一向に改善されないのは、どれだけ担当者、教育委員会が、
真剣に考えているのかで結果が違います。
どれだけ自分事として受け止めることが出来ているのか。
それが同じ過ちを繰り返さないという事だと思います。
近畿財務曲・赤木俊夫氏の自殺問題。
「改ざん文書の証拠書類はありません」の回答で通してきました。
しかし、大阪地方裁判所は2021年3月22日、
赤木さんが改ざんの経緯を詳細にまとめたファイルを、国に提出するよう促しました。
あちこちで起きている子供たちのイジメ問題も同じです。
市や教育委員会は「知らなかった」とか「いじめとは思っていなかった」とか。
これだけ多くのイジメ問題、自殺問題が出ているのに、そのニュースが出た時に、
自分の市の学校では起こってはいないだろうかと、考えることはできなかったのでしょうか?
仕事を担当している人や組織が、人の痛みがわかる人たちなら、
犠牲者を出さずに済んだのにと思います。
パソコンばかり見て仕事をするから、現場のことが全く分からなくなるのだと思います。
或いは、現場との人間関係がスムーズになっていないから、
現場の声が上がってこないのです。
或いは、現場の声が上がっても、それを汲み取る事が出来ないのです。
自分の仕事の目的は何なのか。
事なかれ主義の時代は、とっくの昔に終わっていると思います。
私も他人事ではなく、人の痛みがわかる人になりたいと思います。
じゃ、また明日!