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コロナ禍は時代の大きな境目に来ていると言われています。
私も昨年の今頃から何となく、世の中は変わって行くだろうと思っていましたが、
ジワリジワリと動き始めているような気がします。
なぜなら、今までは国のトップや組織のトップが言ったことは絶対的でした。
しかし、最近は、それに対して苦情が直ぐに殺到し、
その市民の声によって1日で前日のことがひっくり返ることも出てきています。
個々人の想いが可視化しやすくなり、
多くの人の声によって時代が動かされていくような気がします。
すべてが全てではないにしろ、以前に比べたら一度決まったものでも、
変更の可能性が出てきたのです。
そうなってくると、一人1人が自分の生き方を持っておく必要があると思います。
なぜなら、色々な場面に於いて自分の判断・選択がその都度、問われてくるからです。
その時々で迷っていれば、軸がぶれてしまいます。
軸がぶれない為にも、自分が譲れないものは何か。
悔いのない人生を送るためには何が大切かを自分の中に持っておく必要があるのです。
コロナウイルスにしても、自分の生き方にしても、
すべて自分個人で立ち向かうしかありません。
目の前の現状の中で、自分はどのように考え、どのような行動を取るのか。
その選択をするのは、自分しかいません。
自分の守るべきもの、自分の大切なもの、それを自分の中で明確にすることが、
この時代の境目に於いて、どちらに転んでいくのかの分かれ目になると思います。
私自身、今まであまりにも無意識に、考えることなく行動していたと思います。
自分の意思を持って行動するという事はありませんでした。
よって、自分が選択をしているのにも拘わらず、
反対の行動を取っている場合も多々ありました。
要は、自分軸が無かったのです。
各県や市でぽつりぽつりと選挙があります。
自分は誰を選ぶのか。
何気なく選ぶのと、考えて選ぶのと同じ1票です。
しかし、選んだ結果のリーダーによって、その市や県の在り方が変わってきます。
大切な税金でシャワールームを作ってみたり、会食用の団扇を作ってみたり。
それが今すべき仕事なのかどうか。
そのお金をもっと有効に使えたのではないか。
それを大切な仕事だと思い込んでいる人を、我々は選んでいるのです。
結局は自分の1票を入れるという行動が招いた結果なのです。
よって、先ず自分はどのように考えて、どのように行動するのか。
何を判断して、何を選択するのか。
何気ない自分の判断・選択が社会を作っているということに、
あまりにも無自覚だったと、最近は反省しています。
社会の中の自分を知ることが、今ある社会を知ることに繋がるのだと思います。
じゃ、また明日!