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私はいつも自分の年齢に自分自身が追いついていないのを感じます。
20歳の時は、まだまだ自分が子供なので、成人式に行く気にもなりませんでした。
自分が自分で成人式に行ってもいいかなと思ったのは、30歳の時です。
それからでも自分が10代で描いていた、大人という常識も良識も持ち得た人間には、
いつまでたっても追いつきませんでした。
そうこうしているうちに、人生の折り返しも過ぎ、
残り時間が少なくなって来ているにも拘わらず、
まだまだ大人になり切れていないのが現状です。
最近になって
「なぜいつまで経っても、自分の年齢に相応する生き方が出来ていないのだろう?」
という答えがわかって来ました。
良識のある人は一生勉強を積み重ねています。
一生自分をアップデートし続けています。
そこが出来ていなかったのです。
一生勉強している人、一生アップデートし続けている人には、
心の豊かさがあったのです。
自分が本当に望んでいることをやっているから、
しんどくても辛くても、そうは感じないのです。
むしろ、それが自分の喜びとなっているのです。
自分の喜びだから、自分のやりたい事をやるたびに、
自分の魂を磨いていることになるのです。
稲盛和夫氏は「私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのか?」
という問いかけに対し、
それは「心を高めること」「魂を磨くことにある」と答えたと言います。
現在生きている中では名誉だの地位だの財産だのと、
自分の魂以外の部分で生きている人が多いです。
しかし、死んでしまえば一瞬にしてそういうものは消えてしまいます。
そうであるならば「自分は何のために生まれて来たのか」
「何をしにこの世に生まれたのか」となれば、
「生まれた時よりも少しでもましな人間になって、
僅かなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」
と稲盛氏は答えたとか。
私はそういうことは以前、何も思っていませんでした。
しかし最近、自分の人間性を高めるという事が、
魂を磨くということと結び付いてきました。
自分の価値観、意識をアップデートすることによって、行動も変わってきます。
行動が変われば結果も変わってきます。
一連のそれらの繋がりが自分を高める事になり、本質へと近付くのだと思います。
「生まれた時より、少しでもましな人間になってこの世を去る」ことが、
「自分を生きる」ことになるのだと、納得しかけている今日この頃です。
じゃ、また明日!