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私は温室で育ったせいか、非常に経験に乏しいです。
よって、価値観も狭い範囲でしか考えられず、依存の生き方が身に付いています。
そして、一歩前に進むことに恐怖を感じているのです。
何を恐れているのか、ずっとわからないでいました。
今わかったのは、未知のものに対する「恐怖」、失敗に対する「恐怖」でした。
先が見えているものや、答えのわかっているものに対しては、
一歩踏み出すことができるのです。
しかし、いまだ見たことのないものや、答えのわからないものに対しては、
なかなか動けないのです。
最近では、情報過多が余計に動けなくしているのかも知れません。
なぜなら、情報が多いので自分が経験する前に何となく答えがわかっている気がするからです。
以前は道に迷ったら、勇気を振り絞って知らない人に尋ねるしかなかったのです。
しかし今は、スマホで行き先が直ぐに出てきます。
食事をするにしても、以前なら入ったことのないお店に入って、
自分の舌で確認していました。
次回もこのお店を選ぶか、選ばないかは自分の目と舌で判断していました。
今では、お店のレビューを見ればおすすめかどうかわかります。
例えそれが自分の舌で確認していなくても、
誰かが書いたレビューで判断してしまうのです。
旅行も、自分が行きたい場所ではなく、インスタ映えする場所になっています。
これらすべては、自分が経験する前から結論がでてしまい、
食べる・食べない、行く・行かないになってしまうのです。
自分の目や耳など自分の五感で判断するのではなく、
他人の情報で判断してしまっているのです。
よって、何か新しい事に対して自分で判断したり、行動したりするのが
「恐怖」となってしまうのです。
そして「どうせ私には無理」とか「やっても意味が無い」とか、
やってもみないうちに挑戦する事から逃げてしまうのです。
そういう人生を振り返った時、
自分にはどれだけの経験があるのだろうかと思ってしまいます。
今の自分を狭めているのは
「経験の無さ」「未知への恐怖」が自分を縛り付けているように思います。
インターネトのお陰で、知識は豊富になっているはずです。
しかし、それを行動に移す事が却って少なくなっています。
昔のように「行ってみなければわからない」「やってみなければわからない」
の世界から、やらなくても、行かなくてもその情報は手に入ってしまうのです。
それは頭でっかちになるばかりで、自分の経験・行動が少なくなるばかりなのです。
少なくなれば、その場が安全なので動きたくなくなるのです。
自分が一歩前に進むことに恐怖を感じるのは、
結局は経験不足からの恐怖であったようです。
経験すればそこから世界が広がり、物事が繋がって行く可能性があると思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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