タグ:
のほほんと生きてきた私は、先ず、自立をしなければと思い、自立を意識しました。
今まで、自分の判断ではなく、周りの人やTVなどの情報によって、判断していました。
TVは公共のものだから間違ったことは言わないだろう。
周りの大人は私より勉強しているので、正しいだろう、と。
しかし、それらは何れもそうではありませんでした。
そこで重要なのは、自分で考えて自分で答えを出すという事でした。
自分が判断をするとなれば、なぜそう思うかが必要になって来ます。
今までのように「TVのニュースキャスターが言っていたから」とか、
「先生が言っていたから」とかは、答えになっていないのがわかってきました。
それは一種の責任逃れに過ぎません。
自分で考えるという事から逃げていたのです。
それに気が付いて、自分で考え、自分で判断し、その判断結果は自分で責任を取る。
そうなると、今まで散々言っていた言い訳は出てこなくなりました。
今までよりは、自立出来ているかなと思う事はあっても、それはあくまでも、
今までの自分との比較です。
自立とは言えない位の自立です。
しかし、そうなってくると、今までのように自分の事がきっちりできるようになればそれで良い。
と、思っていたことが、それだけでは済まされないと思ってきました。
なぜなら、自分の思っていたことはここ止まりだったのか?
という気持ちが出てきたのです。
自立がゴールでは無いと思い始めたのです。
本当はもっと大きなこと、何か自分が出来る事で役に立つことはないものかと
思い始めました。
しかし、それは自分1人ではできる範囲の事ではありません。
自分1人ではなしえないような大きなことが目的になって来ました。
やはり誰かと一緒にやるとか、同じ目標、同じ方向を向いている人と
やるレベルの事だと思い始めました。
そうすると不思議な事に、今まで「私」であったのが
「私たち」という感覚になって来ました。
「私たち」でなければできない大きさの事を思い浮かべるようになってきていたのです。
自分がそういう事を思い浮かべるなんて、自分自身でも思っていなかったので驚きです。
しかし、自分1人の力なんてちっぽけなので、同じ方向を向いている人、
同じ目標・目的を持っている人とやった方が、可能性が出てくるのは明白です。
例えそれが裏方に徹していたとしても、自分の夢が叶うことになるので、
自分の目的は達せられると思いました。
よって、気が付けば「私」だったはずが、いつのまにか「私たち」になっていました。
「私たち」がやりたいこと。「私たち」がやるべきこと。
夢は少しずつ膨らんできました。
じゃ、また明日!