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私は記憶力が弱いのですぐに何でも忘れてしまいます。
そうであるのに皮肉にも嫌な事、忘れたいことほど覚えています。
これはなぜかというと、忘れられない記憶というのは「感情」を含んだ経験であるからです。
確かに、怒られた記憶は残っています。
私の親は滅多に怒りませんでした。
どちらかというと、優しくしている方が多かったのです。
しかし、怒られた場面は今でも覚えています。
幼稚園でも先生が良く褒めてくれていたのに、たった一度先生の機嫌の悪い時に話しかけた時、
怖い顔で「あとで!」と怒られました。
今思えば、先生は急いで何か片付けなければならないことがあり、それをしている時に、
私が靴が見当たらないことを言いに行ったのです。
先生は後で一緒に探してくれるつもりで、先ずは目の前の事をしなければならなかったのです。
しかし、記憶としては、その瞬間から怖い先生として残ってしまったのです。
たった1回の出来事で。
言われてみれば、その時「怖い」という「感情」が伴った時は、記憶として残っています。
記憶はその瞬間のその場面の事だけなのに「怖さ」がずーっと引きずっているのです。
自分の中で誤認が続いているのです。
よって、誤認だらけの自分の記憶を書き換える必要があると思います。
特に子供の頃の記憶は書き換える必要があると思います。
なぜなら、誤認のままで人間関係を考えてしまうからです。
特にそれが身内であればあるほど、感情が結びついてしまいます。
相手の事を想っての判断であったとしても、当事者からすれば、
自分は嫌われた、捨てられたという感情の記憶が残ってしまいます。
そしてその感情の記憶は、その後の人間関係を歪めてしまう事にも成り兼ねません。
よって、感情の記憶を書き換える必要があるのです。
自分にこびりついてしまっているマイナスの感情の記憶を、
本来の正常な記憶へと書き換えるのです。
憶測はいくらでもできます。
しかしそれは事実とは違う場合が多いのです。
憶測により、マイナスの感情の上塗りをするよりも、
事実により、本来の記憶として残す方が、楽しい人生になると思います。
今の私の不安は、間違った感情の記憶から来ているように思い始めました。
そうであるならば、その不安は手放すことが出来ると思います。
遅まきながら、感情の記憶を書き換えてみます。
じゃ、また明日!