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定義とは、ある概念の内容やある言葉の意味を、他の概念や言葉と区別できるように、
明確に限定すること。また、その限定。(スーパー大辞林)
概念は人によって解釈が違うので、曖昧な事柄を明確に決めることが定義になります。
人それぞれ感覚も違うし、捉え方も違うので、
先に定義を決めておかないと、話がまとまりません。
では、その定義を決める時には先ず、自分の定義というものが必要になって来ます。
それについての自分の定義はこうである。
というものが無ければ、人とすり合すことが出来ないのです。
今まで、自分の定義というものを考えたことが無く
「何となく」で誤魔化していたような気がします。
その「何となく」は、自分自身の考えかと言えばそうではなく、
小さい時からの親の考え方であったり、先生や周りの大人の考えがほとんどです。
人は、自分の考え=思考が外側に現れます。
という事は、定義を聞かれた時には「何となく」ではなく
「自分の定義」を相手に伝える必要が出てきます。
自分はこうだからこう思う、という自分の定義を
1つ1つの物事に対して持っておく必要があるのです。
それは人と意見をすり合わせる時にも必要であるし、
他人が反対しても自分が信念を持ってそう思ったら、貫き通す場合もあると思います。
自分を貫き通すというのは、自分が相手をコントロールしようとするのではなく、
自分で自分をコントロールしていくことです。
自分を対象にしなければ、自分をコントロールできません。
「自分の定義」と同じく、向かう先は自分自身です。
自分の考え、自分の意識は、自分で考えるしかありません。
その時大切なのが、自分の心に正直になるという事です。
よって「こうしなければならない」という気持ちは自分を縛り相手をも縛ってしまうので、
「こうしたい」という、自分の純粋な意識に立ち返って、
自分の定義を1つ1つ積み上げるしかないのだと思います。
自分の定義を考える場合、すでに刷り込まれた考えや認識を横に置いておいて、
もう一度「これって何?」という所に立ち返って考える必要があります。
その1つ1つが自分の定義となり、
人と考えをすり合わせる時に明確に説明できるものなのです。
今までの記憶と感情の潜在意識を、アップデートする作業になると思います。
自分の定義など、考えても見なかったけれど、
思えば如何に曖昧に何となくそう思っていたかがわかってきました。
よって、人の認識に左右されたり自分の意見を説得することが出来なかったのだと思います。
遅ればせながら、自分の定義を積み上げて行こうと思います。
じゃ、また明日!