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優しい人って世の中に沢山おられます。
親切な人も優しいと思うし、思いやりのある人も優しいと感じます。
しかし、優しさというのはそれだけの事だろうかと思ってしまいます。
優しい中には、もっと何かが潜んでいると。
それは先ず、相手を理解しようという気持ちが働きます。
表面的ではなく「相手は本当はどういう人なのだろうか」と、
相手を正しく見ようとします。
相手を正しく見ることが出来て、正しく理解できたなら、
その人が何か思うようにならず辛い状態にある時、その憂いに共感し、
相手の気持ちを推し量ることが出来るようになるのが大切だと思います。
今、相手がして欲しいことは何なのか。
相手の為に何ができるのか。
ここで相手とのかかわりが生まれてくると思います。
相手がして欲しい事をするにしても、ただこちらが与えるだけでは優しいとは言えません。
相手がして欲しいという事は、相手の目的が達せられるように手助けをすることだと思います。
その中には、相手がどうしても自分でやらなければならない事もあるかと思います。
そんな時は相手が自分でできるよう、安易に手を出すのを控える必要も時にはあります。
そういう時は優しさとは反対の厳しさが必要なのです。
子育ても赤ちゃんの時は100%優しさで包みます。
しかし、成長に従って、今度は1個の人間となるためには、
何もかもに優しくすると、却ってその子の成長の足を引っ張ってしまいます。
私が一番愛情を感じるのは、動物の子育てです。
ライオンであったり、キタキツネであったり、鳥であったり、野良猫であったり。
ある程度の大きさになると、子離れの儀式をします。
どんなに子供が寄り付いてきても時には牙をむいて追い返す。
そうしなければ、子どもは自分でエサを獲るという事が身に付かないのです。
子供が自分で生きて行けるよう、親は厳しく突き放すのです。
この厳しいような突き放しが、結局は一番優しい愛情なのだと思います。
その点人間はこの突き放しが出来なくて、親が子供をダメにしてしまう場合があります。
優しさや、愛情を間違って注いでいる時です。
優しいつもりが時として甘やかしに繋がり、
本人の為と思っていることが、本人の足を引っ張っていることになっているのです。
本当の優しさは、厳しさの中にある愛だと思います。
じゃ、また明日!