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私たちは自分のやっていることを否定されると、自分を全否定されたように思います。
しかし、決して全否定された訳ではありません。
しかもその否定が上辺だけのモノなら尚更、取るに足らないレベルの批判です。
そうであったとしても、時によってはその批判はある種のプレゼントになる可能性もあります。
さほど重要でもない上辺の批判に対し、いちいち答える必要はないかも知れません。
しかし、そういう批判もあるという事で真摯に受け止め、今まで自分の中ではしなかった選択をして、
自分の意識を変えてみる可能性も出てきます。
そうなると、その批判は自分の意識を変えるきっかけを与えてくれたプレゼントになります。
本人が変えることが出来る部分であるならば、一度変えてみても1つの実験かも知れません。
そして、それが思いもよらぬ方向に展開することにでもなれば、
その批判を真摯に受け止めた意味があったと思います。
自分自身に対しては、自分の使命に従って生きているので、
そういう自分を認めることが出来ます。
しかも、思わぬ批判に対しても、自信をもって対処できる自分を磨く事が出来ます。
批判する側は、昔も今も変わりはありません。
ただ、SNSの発達により、今までは発信する機会が無かった人々にも、
インターネットという発信手段で、発信することが出来るようになりました。
見えなかった人々が見えるようになっただけの事です。
村上春樹氏の言葉によれば「時代によって知性の総量は変わらない」という事です。
表面的に批判する人は、出来ない自分を先ず認め、
認めた上で、自分が本当に出来る事を発見していく方向に目を向けた方が良いと思います。
私も口ばかりで、行動が伴っていませんでした。
そういう自分であるにもかかわらず、人への批判は一人前にしていたように思います。
何も出来ない自分、何もしていない自分だからこそ、
人のそういう部分が目に付いてしまうのです。
人を指しているその指は、本来は自分に向いている指だったのです。
そういう指でいくら批判しても、
批判された方は、自分への全否定ではないのがわかっているので、
自分の意識を変えるチャンスを頂いたことになるのです。
批判も使いようだと思います。
じゃ、また明日!