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私はごくごく最近「善し悪しのジャッジ」をしている事に気付きました。
話をしていると、時々ジャッジする人を見かけます。
「そんなの前からわかっていたわ」とか、
「見ていたら誰だってわかるわ」とか。
かなりの年配の方なのに、いつもその人は他人をジャッジしています。
よく見ていると、そのグループの中でその人は優越感に浸っているようでした。
孫の自慢話もしています。
しかし、ジャッジする人は逆に現在の自分に満足していないようにも見受けられます。
誰かを下に置き、自分が上にいると思う事で、自分の存在意義を確かめているようでした。
それなりの地位もあり、立派なお仕事をしてきたと思いますが、
自分に自信がないのかも知れません。
現在の自分に満足していないのかも知れません。
よって、そういう自分を認めたくないのです。
そう思って自分自身を見た時、私も「善し悪しのジャッジ」をしていました。
自分で自分を見る時も、人に対して見る時も、無意識のうちに凝り固まった正義で、
ジャッジしていたように思います。
自分に対しては、自分のダメな部分を受け入れていなかったという事です。
自分に善し悪しのジャッジをしておきながら、
その出来ていないダメな部分を認めていなかったのです。
自分の事をよく知らなかったという事です。
私の場合「善し悪し」のジャッジを自分にしてしまうのは、
人に嫌われたくなかったからだと思います。
嫌われたら怖い、だから人の気持ちを知るためにも、
正義でジャッジをして確認していたのだと思います。
自分が幸せだったり、自分に満足していたら、他の人のことは関係なく、
自分自身に目が向くはずです。
自分に目が向いていれば、自分がより満足の行く毎日を送ったり、
より幸せになるためにはどうすればいいかと、
その解決策に取り掛かるのが自然な姿だと思います。
その方向に目が向いていないという事は、やはり修正が必要かと思います。
少しでもジャッジを減らすよう、今の自分を受け入れて行くことにします。
じゃ、また明日!