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人生には色々な事が起こります。
それは良いことや、嬉しいことばかりではありません。
時には悲しいこと、辛いことも起こります。
それら全て含んで自分の人生だと思います。
「幸運に見える出来事」も「不運に見える出来事」も、
何かに導かれて起こったような気がします。
なぜなら、そこには何か深い意味があるような気がする時があるからです。
今回のコロナでも、非常に不運な悪いことの連続のような気がします。
しかし、そんな中、何とか生き残ろうと必死で考え、
今までやらなかったことに挑戦している人もいます。
その人たちに限らず、のほほんと生きている私でさえも、
コロナは何かを伝えようとしていると感じます。
お店や生産者の方達に限らず、仕事を奪われた人たちは、
この出来事は自分に何を伝えようとしているのか、
自分に何を学べと言っているのか。
自分に何を教えようとしているのか。
と、考えている人もいます。
同じコロナという状況に於いて、それをどう受け止め、どう自分が対処するか。
その受け止めの「解釈力」が試されているようにも思います。
「人生で起こった出来事の意味を解釈する力」
これは、じっくりと考えてこなかった我々が問われていることだと思います。
コロナで言えば、第一波、第二波と何とか乗り切った人も、
第三波ではもう限界に来ています。
この困難は自分を育てるために与えられたものだと解釈するにしても、
限界に近いです。
それでも、この極限に起こった出来事を、どう解釈するか。
「人生を棒に振ってしまった」と思うのか
「新しい挑戦の機会を与えて貰ってありがたい!」と思うのか。
人間の「真の強さ」は、この「解釈力」なのかも知れません。
起こっている事をどう解釈するのか。
それが自分の人生を大きく分けてしまう事にも繋がるのです。
自分は逆境をどのような「解釈力」で乗り越えて来たのか、
この解釈によって、自分の魂を鍛えて行っているのかも知れません。
自分の「解釈力」が人生で起こる全てのことに、
深い意味があることを教えてくれているような気がします。
じゃ、また明日!