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「えんとつ町のプペル」の映画を見たせいか、最近はずっと頭の中で歌が流れています。
「臭いものには蓋をする」とは故事ことわざ辞典によると、
都合の悪いことや醜聞が他に漏れないように一時しのぎの方法で隠すことのたとえ。と、あります。
私の場合も自分で自分に蓋をしてしまっているので、本当の自分の気持ちがわからなくなっています。
小さい時から無意識に人の顔色を窺ったり、人に合せたり。
そうこうしているうちに、自分の本心がどこかに隠れてしまい、
自分というものがわからなくなってしまったのです。
自分が何かをしようと思った時、自分が思う通りのことであれば、楽しくやれるはずです。
しかし、やることは良いことだと思うのに、その一歩を踏み出さないことがほとんどです。
という事は、その一歩を踏み出すことが、自分発信の純粋な気持ちかどうか。
頭と心が一致しない時に、自分で自分にブレーキを掛けているようです。
この状態が自分で自分に蓋をしている時です。
例えば、体調が悪い時、病院に行って検査を受ければ結果ははっきり出ます。
しかし病院に行って、もしも悪い結果が出たら嫌なので、
忙しくて検査できないとか、病院に行くのが面倒だとか、会社を休めないとかで、
検査に行かないのです。行けないのではなく行かないのです。
これも、病気に対して蓋をしたことになります。
まだやってもいない先の検査結果に対し、不安で頭が一杯なのです。
しかし、蓋をしてしまったことで手遅れになってしまう事もあります。
病院に行って検査をするという第1歩が踏み出せなかったからです。
これと同じようなことが自分の中でも起こっています。
自分の本心を知る、或いは自分の分析をするという事に蓋をして、
その場限りで自分の都合の悪いことを一時しのぎで隠してしまいます。
しかし、それでは前に進めません。
一歩踏み出すためには、蓋をずらして純粋な自分というものを知ることから始まります。
1枚1枚竹の子の皮をはがすように、取り除いていかなければ、
芯の純粋な食べれる部分までたどり着くことが出来ません。
未知の世界、自分の知らない世界は、不安と恐怖しかありません。
しかし、今自分が知っている自分と、純粋無垢の時の自分とにはギャップがあるはずです。
その知らない自分を知ることが、一歩踏み出した時ではないでしょうか。
今も頭の中で「えんとつ町のプペル」が流れています。
♫ ♫
「臭い 臭い」とはやされて キミは外にはじかれる
ひとりぼっちの ごみ人間 だけどどうだ?
ゴミの身体の その奥には 綺麗なハートがある
汚れを知らない キミの目や コトバや 背中が
臆病な ボクに 教えてくれた
本当の強さを
♫ ♫
臭いと思っていたものも、自分だったりします。
その自分に蓋をしないで耳を傾ければ、
本当の自分の強さを発見するかも知れません。
じゃ、また明日!