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私は何でもすぐに諦めてしまいます。
自分の中で「やり切った!」という確信が持てないまま、すぐに手放してしまいます。
日本語で「諦める」は、放棄、断念、ギブアップなどマイナスイメージに受け取られます。
しかし「諦」という字は、つまびらかにする、色々と観察をまとめて真相をはっきりさせる、
という意味があります。
また、仏教語では、真理、悟り、を意味する言葉です。
よって、本来の「諦める」とは、
「物事の真実の姿やありさまを明らかにすることによって、はじめて諦められる」
という意味を含んでいたようです。
今は何か一番大切な部分が抜け落ちて「望んでいたことを途中でやめる」
という意味のみに使われているようです。
私なども諦める時はマイナスの感情で受け取り、自分の想い通りにならないので、
それ以上やることを止めてしまいます。
例えば、小学校ならテストの点数。
テストの目的は、分からない所をはっきりさせることです。
100点を取る、とか90点を取るとかが目的ではなく、
自分はどこがわからなかったのか、どこが間違ったのかを明らかにすることです。
しかし、60点を取れば「60点だった!」で終わってしまい、
後の40点について勉強しなおすことはしませんでした。
本来は、その出来なかった40点の方が大切で、
その40点を分かるようにする目的がテストです。
しかし、親も本人も点数そのものが目的となってしまい、
テストは理解できていなかった所をはっきりさす手段である。
という事を忘れてしまっているのです。
ここで目的と手段のはき違えが起こるのです。
40点をきっちり復習して間違いを認識した時、
「間違ったのは仕方がない」とか「間違うのは当たり前だった」とか、
自分が再認識して納得できれば、その40点を諦めることが出来るのです。
そして、そ40点の部分は、二度と間違わないようになるのです。
これでこそ、自分が出来なかった所がわかり、
二度と同じ間違いはしないという自信が生まれてくるのだと思います。
それを「60点だったわ! ま、仕方がない」で終わっていたら、
もしかしたら同じ間違いをおかす可能性もあるし、
自分の中で間違った40点の部分に対しての自信も生まれなかったと思います。
「諦め」に含まれていた「つまびらかにする」というのが、この部分だと思います。
私は典型的にテストの後は放ったらかしにしていたので、
何もせずに諦めるのが早い自分には合点がいきます。
中途半端に諦めるのではなく、物事の真相を明らかにした上で諦めたことは、
自分の中で自信が生まれてくるのです。
これはテストの点数だけに限らず、人間関係や自分の生き方にも繋がると思います。
じゃ、また明日!