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新年になると、初詣に何軒お参りしたのかという話題が出てきます。
今年はコロナで自粛して、お参りを避けた方もおられるとは思いますが・・・。
初詣に限らず、毎日お参りしている方がblogで、
「今日も一日一生懸命頑張りますので見守ってください」と言われているとか。
それで、その方がふと気になったのが、
「見守る」という言葉を以て一体何を求めてるんだろう? と。
「見守る」という意味が曖昧なまま、色んな意味をくっつけて使っていたことに
気が付かれたのです。
毎日神様に求め過ぎで、無自覚で使っている言葉がきっと多いんだろうな~。
と書かれていました。
私も毎朝、仏壇の両親に「今日も、見守ってください」と言って、
手を合わせていました。
私の場合は、何か私の身の上にあれば、きっと両親が守って助けてくれると、
信じていました。
しかし、天国まで行って両親に確認したわけではありません。
私が一方的に思っているだけのことです。
もしかしたら、天国の両親は「見てるだけ~♪」と鼻歌を歌いながら、
「自分のことは自分で解決せよ!」と思っているかも知れません。
考えてみれば、私は神様や仏様にお願いばかりしていました。
僅かなお金で、大きなお願いをしていました。
いつまでも甘えている自分、依存している自分が浮かび上がってきたのです。
これからも言葉は「今日も、見守ってください」には変わりがないと思います。
しかし、
言葉の意味を変えることにしました。
「私に何かあれば守って助けてください」
ではなく、
「私が自分とした約束を、きちんと守れるかどうか、成り行きを見ておいてください」
に、今更ながらですが変えることにしました。
同じ「見守る」でも意味合いが違ってきます。
意味合いが違えば、私の意識も違ってきます。
今まで、お願い・依存ベースだったのが、私自身の報告になって来ます。
自分との約束が守れた報告、守れなかった報告。
「依存」から「自己責任」の方を選ぶ事にしました。
これに気付かせて下さったblogの著者に感謝です。
じゃ、また明日!