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よく企業でも「価値観の共有」が必要だと言われます。
それはその組織が何の為にあるのかという事を理解するためには、必要な事だと思います。
それは「なぜこれをやるのか」という理由と「何のためにやるのか」という目的が共有されていないと、
個々人がバラバラな考え方になってしまうからです。
この「なぜ」「何のために」が、共有されるべき部分です。
しかし、私はそれだけではなく、何を大事に守っていくのか、何を信じて生きて行くのかという、
人間本来の生き方も共有できればと思います。
なぜなら、目的がはっきりしていれば、その過程においてのやり方は個々人の自由があっていいと思います。
「このやり方でなければならない」とか「こうでなければならない」というのは、
時にはその人の押し付けになってしまい、せっかくの個々人の主体性の芽を摘んでしまうからです。
本来は、個々人の主体性を引き出してこその、価値観の共有だと思います。
そのためには、お互いのコミュニケーション、対話が必要になってくると思います。
そして、その対話の中でこそ、相手をより深く理解するチャンスでもあると思うのです。
時には意見をぶつけ合っても良いと思います。
意見をぶつけないと、相手の本音がわからないからです。
そのぶつかり合いは、より相手を理解していく為の手段でもあると思います。
そこを避けていたら、上辺の共有にしかならないと思います。
上辺の共有は、自分の価値観で相手の価値観を裁いてしまうことに成り兼ねません。
そうではなく、自分の価値観と相手の価値観が若干ずれる部分があれば、
とことん話し合い、お互いが納得する着地点をみつければいいのです。
それが共有に繋がるし、共有の土台ができていくのだと思います。
議論をぶつけ合う事の出来ない相手であれば、元々共有できる相手ではないという事です。
個々の価値観や生き方を尊重しながらも、同じ目的に向かって歩める状態だからこそ、
そこには絆も生まれ、本来の目的に向かって進めるのだと思います。
対話が出来る相手、信頼関係が結べる相手だからこそ、価値観の共有は出来るのだと思います。
ただ単に「理由」と「目的」を掲げるだけでは、価値観の共有は出来ないのではないかと思います。
どうせなら、意見をぶつけ合う共有をしたいものです。
じゃ、また明日!