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定義は、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、
人々の間で共通認識を抱くために行なわれる作業。
一般的にそれは「〇〇とは・・・である」という言い換えの形で行われる。(ウィキペディア)
今日、ふと自分の考えが曖昧なのは、定義というものを全く考えていなかったのではないかと思いました。
例えば「あなたにとって幸せとはどんな状態ですか?」と聞かれても、すぐには答えられないと思います。
なぜなら、漠然と幸せにはなりたいと思っていても「では具体的にどんな状態ですか?」と問われたなら、
きっちりと答えることが出来ないのです。
それは自分の中で、自分の幸せな状態を描き、具体的に1つ1つ考えたことが無いからです。
そしてまた、私の幸せ像と、Aさんの幸せ像、Bさんの幸せ像も違います。
誰一人として、全く同じ幸せ像を描いている人はいないと思います。
なぜなら、幸せ像に関する価値観や、目的や、意識が全く異なるからです。
「お金があって、生活に困らない状態で、カラダも健康で、好きな事が出来る状態です」
と、言ったとしても、それだけでは自分自身でさえも、最高の答えとは思えません。
ということは、自分自身についても深く考えたことが無いという事です。
「好きな事が出来る状態」と言っても、自分がやりたい事を信じて突っ走っても、
そこには失敗や、人からの誹謗・中傷もあるかも知れません。
人からどう思われるか、他人の評価など気にせず、
自分を貫き通す覚悟が出来ているかも含まれます。
自分で自分の可能性を信じ、他人の批判や批評に対し、
ブレずに自分を貫き通す覚悟が出来ているのかどうかも必要です。
そのためには自分なりの「定義」をしっかり確立しておき、
それに照らし合わせながら一歩一歩進むしかないと思います。
その一番大切である、自分なりの「定義」というものを、なおざりにしてきたような気がします。
自分自身のこともよく知らず、1つ1つの定義も考えていない状態では上手くいくはずがありません。
もっともっと、外に向けていた目を内側に向け、自分のことを知る必要があるようです。
そして、やりたいことの1つ1つに対し、どういう状況を目指しているのか、
具体的に頭に描く事が出来るまで想像する必要があります。
また、他人にどう思われようが、どう言われようが、気にすることなく自分の想いを貫く覚悟が必要です。
そう思えば、自分なりの「定義」を考えておくことは重要な事だと思います。
自分が今まで曖昧で答えられなかった部分、考えようとしなかった部分が、
見えてきたような気がします。
「自分を生きる」のであれば、やはり真摯に自分に問いただす作業がいるようです。
じゃ、また明日!