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人はよく「生きている」とか「生かされている」とか言います。
たいがいは、自分1人では生きることは出来ないので「生かされている」と言われています。
「生かされている」というのは、人間は生まれながらにして良い心を持ち、
互いに協力して良い社会を作ることの出来る存在である。
という考え方からきているようです。
しかし、人類が進化し、技術が発達してくると、人間は地球というものを私物化していきます。
けれどもそれは反対で、実は地球の自然に生かされていることを忘れてしまっているのです。
水にしても食べ物にしても、人間が自ら作り出したものではなく、
元々地球にあったものを使っているだけです。
よって、大昔の人は自然に感謝し、崇めたのは、それらによって生かされていると感じていたからです。
故に、自然との共存が成り立っていたのです。
本来なら、地球や自然に対し、人間としてのあるべき姿で共存すべきものが、忘れられています。
人間は、生まれるからこそ、生きるのであって、生きるからこそ、死ぬという事を繰り返しています。
自分の一生をいかにして「生きる」のかを考えるからこそ、発展は生まれてくるし、
その発展がその人の人生だけで成り立つものではなく、
人間の進化と共に発展してきているのだと思います。
よって1人の人間の一生は個別に横に切り離して並べるものではなく、
縦に積み上げて歴史となって行くものだと思います。
それは、誰しもが歴史の流れの中で生きているという事だと思います。
そして、生きている時は自分1人では生きられないので、
自分以外の人との関わりにおいて成立しているのだと思います。
生きることは、自分以外の誰かに生かされ、
自分以外の誰かを生かしていることだと思います。
よって、人は「生かされている」中で「生きている」と言えるのではないかと思います。
互いに生かし合って「生きている」という事を、普段忘れてしまっているのだと思います。
世の中の裏表、善悪、正否、陰陽、その他。
どれをとっても片方だけでは成り立たず、すべてを1つとして捉えることが大切になって来ます。
陰の中の陽、陽の中の陰。
其々が発展して大きくなると、いつしかそれは陽の中の陰、陰の中の陽と、入れ替わっているのです。
それが「歴史は繰り返す」と言われるゆえんなのかも知れません。
よって、我々は「生かされている」中で「生きている」のだと思います。
じゃ、また明日!