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「同治」と「対治」は仏教言葉です。
「同治」は現状を肯定するのに対し、
「対治」は現状を否定する。という考え方から始まったようです。
これは、発熱に対して、
「同治」は、十分に暖かくして、汗をたっぷりかかせて熱を下げる、やり方。
「対治」は、氷で冷やして熱を下げる、やり方。
また、悲しんでいる人に対して、
「同治」は、黙って一緒に涙を流して、その人の心の重荷を少しでも引き受けようとする態度。
「対治」は、くよくよしていても仕方がない。さあ、元気を出そうと励まして立ち直らせようとする。
わが子が死ぬとき、
「同治」は、「よく頑張った!もういいよ」と、死を受け入れて、肯定した態度で見送る親。
「対治」は、「死んだらダメだ!」と、子に縋り付いて泣き崩れる親。
「老い」や「死」は否定できるものではありません。
死ぬしか道のない者に、生きろというのは、
生きるしか道のない者に、死ねというのと同じです。
死にゆく者に死んで良いという者こそ、本当の見方ではないだろうか、と。
阿弥陀さまには一切の否定がありません。
絶対的な受け入れの心があるだけです。
この絶対的な受け入れ、絶対的肯定、絶対的な許しこそが、「大悲」と呼ばれる心のようです。
「1人漏らさず救う」これが「同治」の完全な在り方のようです。
私たちはともすれば、励ますことが良いことだと、一生懸命励ましの言葉をかけて、
相手を立ち直らそうとします。
しかし、それは「学校に行かなければいけない」「就職しなければならない」といったように、
相手の現状を否定するところから始まっています。
いくら善意からの言葉であったとしても、それは相手に対して、反って大きな心の負担になります。
全てを受け入れ、全てを許す。
それがこの上もなく、有難いことであって、深い深い安心の世界が開かれるのです。
「頑張れ」という励ましではなく、相手の今を引き受ける「同治」の態度こそが、
計り知れない大きな支えとなるのです。
今まで励まして相手を立ち直らせようとしていた自分を省みることが出来ました。
イソップ童話の「北風と太陽」を思い出しています。
太陽のやり方であろうとしていたのに、実際は北風そのものでした。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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