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吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」という本がありました。
その本には、以下のことが書かれています。
心に感じる苦しみや辛さは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、
そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。
そして僕たちは、その苦痛のお陰で、人間が本来どういうものであるべきかということを、
しっかりと心に捉えることが出来る。
私など、苦しみや辛さなどネガティブな感情が生じた時は、その感情から逃げてしまいます。
或いは、そういう自分を認めたくなくて、自分の正直な気持ちを押し殺してしまい、
何もなかったように自分で自分をだましてしまいます。
そういう事を繰り返していると、自分には悩みがない。とか、苦しみを味わったことがない。
と言ったように、本当に自分の感覚がマヒしてわからなくなってしまいます。
しかし、心の痛みは1つの警告でもあると思います。
自分にとってはそれは違っている、自分には違和感がある。と、思うから心が痛むのです。
その痛みを逃げずに正面から受け止めてあげれば、自分自身の生き方がわかってくることもあります。
「自分は、本当はどうしたいのか」「自分は、本当は何を望んでいるのか」
ともすれば怒りの感情の中に、本当の自分の望む世界が見えてくるかも知れません。
なぜなら、怒りや苦しみや辛さは、自分が望んでいる生き方ではないからです。
それを、折角自分が心の痛みとしてシグナルを発しているのに、
その痛みのシグナルに蓋をしてしまうのは、勿体ないことです。
自分で蓋をしておきながら「自分には悩みなどありません」と言いつつ、
「自分はどう生きたいのか?」と考えあぐねても、答えを出せないのは当たり前です。
今まで自分で葬ってきた自分の心の痛みの蓋を、1つ1つ開ける時が来たようです。
そして、その1つ1つに耳を傾けることによって、
「本当は自分はどう生きたかったのか」「自分は何を人や社会に与えたかったのか」
「自分はどんな世界に痛みを持って、どんな世界を創りたいのか」
その答えが導き出されるかも知れません。
自分の心の痛みに蓋をしていたという事すらわかっていなかった今、
恐れずに、少しづつ蓋を開けて行こうかと思った次第です。
じゃ、また明日!