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「自分はどんな世界を作りたいのか」と、問われた時、今までの知っている世界しか思いつきません。
すでに見本があって、それを一部修正するぐらいが限度です。
そこで考えられる世界は、一見、自分が考えたつもりでも、それは錯覚のような気がします。
なぜなら、自分の価値観からの出発ではないからです。
人の価値観による出来上がった世界だからです。
何事も自分発想のような気がしていますが、よく考えると自分が自分に問うて導き出したものかどうか、
疑わしい限りです。
自分が勝手に刷り込んだ、或いは刷り込まされた価値観を、自分の価値観だと信じているのです。
「自分の作りたい世界」というのは、本当に基礎の土台から自分で作り上げた世界です。
自分で設計図を書き、自分で組み立て、自分で内装も考える、新築の家を自分で建てるようなものだと思います。
そうであるにも関わらず、例えて申し訳ないけれど、私が考えていたのは新築そっくりさんの家だったのです。
元の家を利用して、外装を変えて新しい家だと思っていたのです。
外装や内装は変わるかも知れません、しかし、土台の基礎や家の骨組みは元のままです。
それは自分が建てたものではありません。
それを新築だと思っていたところに自分の中でズレが生じていたような気がします。
どんな外装にしようか、どんな内装にしようかと考える以前に、
どのような基礎を作るのか、どのな土台にどのような骨組みを立てるのか、の方が大切だと思います。
その骨組みこそが自分の作りたい世界の基礎になる部分だと思います。
そのためには、自分と向き合うしか答えは出てきません。
展示会場を見て回って、こんな家が欲しい、こんな部屋が欲しいと思うのは、あくまでも参考に過ぎません。
それよりも、自分が幸せだと思う空間はどんな空間かは自分にしかわかりません。
そこを考えてから展示会場に行くのは、自分の空間の参考になるとは思います。
しかし、そこを考えずに展示場を見て歩けば、こっちの家のリビングにあっちの家の子供部屋にと、
いいとこどりをしたつもりが、全体として見た時には統制の取れないものになってしまう可能性があります。
1つ1つの部屋に対して、自分が幸せだと思う空間を考えていってこそ、ブレない家が出来ると思います。
自分の作りたい世界も同じで、1つ1つを自分の価値観で作って行かないと、自分の世界にはなりません。
自分の作りたい世界というのは、自分の思った通りの、自分100%の自由な世界のはずなのに、
そこに手が付けられない自分がいるようです。
まだまだ、今までの価値観から抜け出ようとしない、安全で楽な方を選ぶ自分がいます。
豪邸など必要ないのです。ワンルームでもいいから、自分で自分の世界を作りたいものです。
じゃ、また明日!