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最近、子供の虐待が増えているように思います。
又、大人になっても「親の愛情を感じたことがない」とか、
「親から愛されていなかった」という記憶と共に生きている人が増えているように思います。
そのほとんどは、もの心ついた時からの「親から愛されていなかった」哀しい記憶です。
しかし、人間は赤ちゃんの時の記憶も持っているようです。
ただ、それは忘れてしまって覚えていないだけです。
実は、肉体カメラの記憶=自我の記憶 と、
全体カメラの記憶=純粋意識の記憶 とがあるようで、
この純粋意識の記憶は、赤ちゃんの時からの記憶として残っているようです。
自我の記憶は、肉体カメラの記憶なので、切り取った一部の記憶しか映せません。
しかも、自分がもの心ついてからの記憶です。
しかし、全体カメラの記憶は、全てを映しているので生まれた時からのことも映しているのです。
もの心つく以前の記憶は、どの赤ちゃんも生まれた瞬間、
お母さんから「生まれてきてくれて、ありがとう」という言葉を聞いていると思います。
ただ、それを覚えていないだけなのです。
どの親も生まれた瞬間は愛情たっぷりの視線で見つめていたと思います。
よって、どんなにひどい親でも、ちゃんと愛されていたのです。
見つめられ、微笑みかけられていたと思います。
ただ、悲しいかな、自分の記憶としては、愛されていない哀しい時からの記憶として残ってしまっているのです。
もしも、純粋意識の記憶にまでさかのぼることが出来たなら、自分が愛されていたという確信が持てると思います。
どんなに愛情表現の下手な親であったとしても、愛をもって見つめていたと思います。
よって「自分は親に虐待を受けた」「親から愛されていなかった」という記憶しか残っていなくても、
「産まれた時は十分愛されていた」
ということもあったという事実を、心の片隅に覚えておいてもいいのではないかと思います。
じゃ、また明日!