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相手のことを思ってやったはずなのに「お節介」や「人の心に土足で入り込む」ことになったり。
なんでこうなるの?と思うことがあります。
「思いやり」なら、少しは相手の役に立ったりはするのに、
「お節介」だと相手を時には傷つけてしまいます。
そして、どうして傷付けてしまったのかは、その時は気が付かないのです。
自分が良いと思ってやったことでも相手が望んでいなければ、それはお節介になってしまうのです。
昔TVドラマで「家なき子」というのがありました。
主人公の小学6年生のすずの有名なセリフが「同情するなら、金をくれ!」でした。
すずが欲しかったのは、生きていく上でのお金です。
母親の手術代のお金です。
その状況では他人の愛情など役にたたないのです。
歩み寄ろうとする担任の愛情も、役には立たないのです。
すずにはお金しか役に立たないのです。お金しか求めていないのです。
そこでの「思いやり」は、すずにとっては「お節介」以外のなにものでもないのです。
こちらが少しでも相手の役に立とうとしたり、入り込もうとしても、それは相手の気持ちを無視した入り方です。
こちら側発信の考え方です。
相手側発信では、お金以外はお節介以外にしかならないのです。
人とかかわる場合、相手が望んでいるのは何なのか、それをよく理解して接しないと、
信頼のある人間関係は結べないのだと思います。
相手に対する思いやりを忘れてしまうと、反って相手を苛立たすだけに終わってしまいます。
自分の考えが正しいと思い込み、相手の立場や感情を考えることなく、一方的に接近してみても、
それは「お節介」でしかないのです。
中途半端に関われば、相手からすればうざい奴にしかならないのです。
自分の考えは二の次で、相手の望んでいるものを正確に認識し、最後まで面倒を見られなければ、
中途半端な「お節介」にしかならないという事を、覚えておきたいと思います。
相手に対する認識不足、相手の要求、それをきっちり把握してからでないと、
本当の「思いやり」にはならないと思います。
中途半端な「お節介」では何も残らないと思います。
じゃ、また明日!