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「清濁併せ呑む」という言葉があります。
意味は「心に余裕があり、善悪の区別をすることなく、来るがままに受け容れること」
良いこと悪いこと、良い人悪い人、奇麗なもの汚いものを公平にあるがまま迎えることを表します。
濁を避けて清ばかり好んでいるのではなく、時には濁を甘受することも必要である、という事です。
語源は「海は、清流も濁流も、穏やかな波も激しい波も区別することなく全て受け容れる」ことから来ています。
自分の価値観にこだわることなく、他人の考えも受け容れることを表す時に使うようです。
目的を達成するためには、相手の意見や理不尽な事を受け容れることが必要になる場合があります。
これが「清濁併せのむ」ことだと思います。
それと関連して思ったのが「和して同ぜず」です。
「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」の前半部分を取ったものです。
後半は「つまらぬ人間は、やたらに人の意見に賛成するが、真に共感しているのではなく、表面だけを合わせているのであり、友好関係は生まれない」という意味です。
日本は昔から「和」を大切にします。
一般に言われていたのは、
「お互い、違う考え、違う人種、違う価値観、そういう違いを乗り越えて調和していく」
という総体的な相反する二項対立的なものの考え方ではなく、
「それを全てひっくるめて、統合的な視座からの捉え方」が出来ないと「和」という事にはならないようです。
それは「同じであるという事ではなく、違いを受け容れ、尊敬し、違うもの同士が共に分かち合い、協力し合うから、新たな創造的なものを生み出していく」
という考えです。 
これは調和していく仲良しグループではなく、違いを認めた相互依存にあたると思います。
そう思えば「海」はすべてを受け容れ「清濁合わせ呑む」ことをしてくれているのだなと思います。
おまけに、近代になってからは汚染水、廃棄物、プラスティックゴミなど、自然のサイクルを狂わしてしまうものまで受け入れてくれています。
そろそろ、それも限界に来ていると思います。
人間は、人間関係だけではなく、自然との関係ももっと真摯に受け止めなければ、最近の大災害が当たり前になってくると思います。
共生共存、これからはこの視点なくしては、幸せには生きていけないような気がします。
人間は自然界に甘えるばかりではなく、地球のことも考えて「清濁併せ呑む」覚悟が必要だと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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