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私は昔から雑草に魅せられていました。
学校の行き帰り、石垣の隙間から、或いはアスファルトの割れ目から小さな花を咲かせている雑草が好きでした。
こんな硬い所から生きようとして可愛い花をつけている雑草が、たまらなく好きでした。
その生命力の強さ、どんな所でも生きようとする意志の強さ。
それらは私の憧れでした。
それに比べて自分は100%温室育ちだと、いつも思っていました。
雑草を見て、温室育ちでも雑草のように強く生きれるのだと、自分に言い聞かせていました。
今だからこそ「それを選択するのは自分だ」ということがわかってきましたが、
当時は自分が決めて行動することだとは、気付いてはいませんでした。
今日、ある文章に「雑草は弱い植物である」と書かれているのを目にしました。
抜いても抜いても生えてくる、あの雑草が?と思いましたが、
「雑草は競争に弱い」という事です。
他の植物を押しのけて生き抜くという力に、雑草は長けていないようです。
これを読んだ途端「私と同じだ!」と憧れから同志になりました。
競争の激しい場所では生きられないから、競合のない場所で「戦わない」戦略を取っているようです。
だから、他の花が生きることが出来ないアスファルトの割れ目という特殊な場所で、生きているのです。
それは「種子を残す」という目的のために、競争を避けて生き残れる場所を探しているのです。
その目的のために、多様で急速な変化をその都度、繰り返しているのです。
どんな環境であったとしても「花を咲かせて種子を残す」という目的を、
ブレることなく維持し続けているのです。
雑草は生まれ落ちた場所や、隣り合わせた植物を変えることが出来ないので、自分自身を変えているのです。
その変えるという事は、その地に適応する事であり「花を咲かせて種子を残す」という目的があるから自分を変えることが出来るのです。
これが雑草魂というものだと思います。
「雑草は、踏まれても踏まれても、必ず花を咲かせて種子を残す」
それは強いからではなく、弱いからこそ、自分の生きる道を自分が変化しながら生き延びていく。
私が昔からあこがれていた雑草は、理由は違えど、やはり強い生き方なのです。
この同志に負けないよう、私も目的達成のためには頑張らなくては・・・。
改めて雑草に感謝です。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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