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人に話をし、自分の考えを理解してもらい、納得してもらうにはどうしたらいいのか。
普通の会話、対話の中でも頭ごなしに拒否されることがしばしばあります。
これは自分でも気を付けなければならないと思うのですが、
そのことを本当にわかって拒否している場合と、自分が知らないから拒否する場合があります。
後者の場合は、その人がその人自身の範囲を狭めていることになるのですが、それも十人十色です。
私が最近感じたのは「自分の話している内容が真実であれば、相手はわかってくれる」と、
勘違いしていたことです。
なぜなら、真実だから「誰から見ても正しいこと」と思ってしまうことが間違いなのです。
数学や論理学では、成り立つことかも知れません。
しかし、現実の物事は、それを見る人の気分、見る人の立場、見る角度によって正しさは変わってきます。
私にとって正しいことも、相手にとっては正しくないかも知れません。
そこで大切なのは、自分にとっての正しさではなく、相手にとっての正しさを理解しておかないと、
説得することは出来ないということです。
説得とは、言葉を伝えることで相手の認識を改めさせたり、何らかの行動に駆り立てたりする行為のこと。
そこには、相手の納得がなければならないのです。
よって、いくら学問的に正しい根拠を引き合いに出してみても、相手がそれを理解できなければ、説得することが出来ません。
時には理論武装して、難しいことをまくしたてれば相手も黙るだろう、と考える人もいます。
しかし、その時は相手が黙ったとしても、それはその場かぎりのこと。
相手が納得した訳ではないので、相手の認識も行動も変わりません。
それは、相手を置いてけぼりにしているだけのことです。
忘れてならないのは、自分の説得が「相手に正しく伝わる」ことであり、
「自分が正しいこと」ではないのです。
そのためには、自分がしっかりとした根拠を示し、それが無理のない論理で結論まで繋がっていることです。
その根拠というのが、「いかに生きるか」という「原理原則」ではないかと思います。
そして、この「原理原則」というものが、自分が生きる「人間学」にあたると思います。
今まで「人間学」というものは、道徳レベルでしか捉えていませんでした。
しかし、自分にとっての人間学は、自分の生き方であり、在り方になってくるのです。
もっと言えば、自分の魂の存在のようなものです。
自分中心、自分発想の伝え方では、相手は納得しないのです。
相手にとっての正しさから話し始めないと、人は納得してくれないし、説得も出来ないのです。
じゃ、また明日!