タグ:
新型コロナウイルスは、本当に色々な角度から人間を変えて行こうとしているように感じます。
会社、お店といった今までの自分の居場所から一端追い出し、改めて各個人に自分の居場所を問うているように思います。
今まで、何となく流れでしがみついていた場所から、やっと自分の居場所を探さなければならない状況に追い詰められるのかも知れません。
人は何か事が起こらないと、或いは追い詰められないと動けないようです。
私のように、これといった不満もなく、のんべんだらりと過ごしてきた者は、余計に気付きが遅れます。
コロナは、外に目を向けても気付かない、ということを教えてくれたような気がします。
全ては自分の内なるものにしか存在しないと。
外に向かって、聞いていても答えは返って来ません。
返ってきたとしても、それは返した人自身の答えであって、自分の答えではありません。
自分の知らなかった、自分が気付いていなかった内なる本心。
それに気付くまで、旅を続けているのかもしれないと感じます。
今までの日常に疑問を持ったり、今までの日常に違和感を感じてしまったり。
それが内なる旅の証しなのかも知れないです。
古い自分を守ろうとする「不安」、新しいことに出会う「恐怖」。
それらを跳ねのける「勇気」。
これらの流れの中で、自分というものを見つけていくのかも知れません。
すでに自分は旅を始めていると気付いていなかったかも知れませんが、コロナによってそれも気付かされました。
自分という人間を探求する旅、もしかしたらそれが自分が生きているという証しなのかも知れないです。
晴天の日ばかりではありません。
今も、日本各地に豪雨が襲っています。
雨が降ったり、雪が降ったり、晴れていたり、曇ったり。
それらすべてを含めて、自然現象なのだと受け入れれば、自分の人生の中の出来事も受け入れられると思います。
雨の少なかった私は、引き換えに「甘え」というものが多かったのかも知れません。
残る人生で、この「甘え」というものを降ろし、身軽になった自分でもう一度自分と対峙する必要があるようです。
それを見つけることができれば、私がこの世に生まれてきた意味がわかるのかも知れません。
しかし、自分が生きる意味を探しても、意味を理解しただけに終わってしまいます。
実は、意味を行動に移すという、生きている実感や経験を探しているのかも知れません。
しばらくは、これが私の宿題だと思います。
じゃ、また明日!