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私はいつでも人のせいにしたがるのですが、そのカラクリが少しわかってきました。
今ある現状は自分が作り出したものであり、自分が作った物語に他人を巻き込んだ自作自演のものであるということです。
何か出来事でもなんでも起こった時、自分が思っていた方向と違う方向に行った時、その原因を他人に求めてしまいます。
「こうなったのは、あの人のせいだ」
「あの人の言った通りにしたのに、結果は惨敗だった」
「あの人が君ならできると言ったのに、そうはならなかった」
これらはすべて「人のせい」です。
その時の自分はどうなのかというと、すべてその人に依存状態です。
その人に今の自分を助けて貰えると自分が思っていたから、裏切られたような気持ちになるのです。
依存していたから、突き放されたような気持ちになるのです。
しかし、その人の言うことにどっぷりつかって依存していたのは自分です。
そこが見えていないから、すべてが相手のせいになってしまうのです。
そして、相手のせいだと思うから、恨みつらみも出てくるのです。
しかも、相手のせいにすると言うことは、自分は悪くないということの他人への証明です。
その出来事が起こる過程においては、自分もかかわっているはずです。
かかわって了承した結果のはずなのに、誰かを恨んで依存していた自分を認めようとはしません。
結局は人のせいにして、自分は悪くないという醜い自分を認めたくなかったのです。
そういうカラクリが見えていなかったので、絶えず裏切られたと思い、相手のせいにして自分を正当化していたのです。
これはその人に「依存していた」が故の「人のせい」です。
そこには責任を取るべき自分は存在しません。
よって、自分の依存状態にも気が付かないし、相手に対する感謝もありません。
依存している時のことを振り返れば、色々教えて貰ったこともあります。
その沢山の与えて貰ったことより「自分は悪くない」「裏切られた」と思う感情が、与えて貰ったことを見えなくしています。
依存しているが故に、こういうカラクリをあちこちで起こしています。
自分は悪くないと思っていても、今までのことを振り返ると、沢山の「ありがとう」が見えてきます。
本来、見るべきはそこの部分であり「ありがとう」の部分を自分のものにするから、次の次元へと進めるのだと思います。
依存のカラクリを解いていくには、まだまだ時間が掛かりそうです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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