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習慣とは、意識せずとも無意識に行動していることだと思います。
よく例えで言われるのが、毎朝歯を磨いたり、服を着たり。
新型コロナの今では、帰宅すれば手洗い・うがい・服の消毒などが習慣化されています。
マスク着用も最初は、忘れたりした時もありました。
しかし、今ではほとんど無意識に、マスク・手洗い・うがいは習慣化されているのではないでしょうか?
私は脳が行動をパターン化するために、最初の頃は忘れないよう玄関に紙に書いて「まずは手洗い、うがい」として、継続させていました。
最初は義務的にやっていたマスクも、コロナウイルスのことがわかってくると、うつされない為だけではなく人にうつさない為にもするようになって来ました。
これはコロナウイルスをうつされない、うつさないという強い感情が働いて、マスク着用という行動が反復されたのだと思います。
そう思うと、面倒だと思っていたことでも、習慣化されれば継続していけるのです。
これから夏になって息苦しくなってきても、マスク着用は守ると思います。
なぜなら、コロナウイルスを人にうつしたくないし、うつされたくないという感情が働き続けているからです。
少しずつ出歩くことが増えて来た今、以前だったら邪魔くさいと思っていた手の消毒さえも、消毒液を小分けにして各バッグに入れるようになりました。
習慣は人間の行動の全てです。
その人の意志や価値観が現れます。
コロナウイルスの第一次は治まったものの、また、じわりじわり感染者が増えつつあります。
自粛が解かれれば、当然また感染が拡がる可能性もあります。
自粛生活を言われてから、日常生活も社会生活も変わりました。
そのコロナウイルス対策用に変わった生活を、自粛が解けたからと言って元の生活に戻してしまうのか、習慣として身に付けていくのか。
これも一人1人の価値観に委ねられると思います。
私自身、インフルエンザも10年に1回罹るか罹らないかだったので、最初はうつらないからいいやと、あまりマスクは気にしていませんでした。
しかし、自分が症状の出ない陽性者か陰性者かわからない今、自分だけでは済まされない世の中になって来ました。
よって、自分はどういう行動を取るのかということは、自分はどういう習慣を身に付ければよいのか、という事になってきます。
習慣というもの1つ採ってみても、何も考えずにやっていた習慣を、考え直す必要があると思います。
悪い習慣を良い習慣へ、意識的習慣を無意識的習慣へと、毎日の行動を継続して自分の価値観をより良いものにしていきたいと思いました。
何かを習慣化するには、修行僧のように来る日も来る日も同じことを続けることによってそれが習慣となっていくのです。
夜の明けぬ暗いうちからお寺の床を拭き、庭を掃除する。
それが習慣作りという修行であるのかも知れません。
禅僧としてのものの見方、考え方、ふるまい方、暮らし方、ひいては生き方の習慣を作るのが修行だとすれば、
禅僧でない私のような一般人も同じ事が言えるのではないかと思います。
それは自分自身がやるしか方法はないのです。
じゃ、また明日!