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自分の事を棚に上げて言わせて頂くと「どうしたいの?」と聞かれた時に、明確に答えられない自分がいます。
他の人でも「幸せになりたいのです」と答えます。
「では、その幸せとはどうなれば幸せと言えるの?」と聞くと「何となく、幸せに・・・・」
自分の中で幸せの定義やイメージが明確になっていない状態です。よくわかります。
しかし、自分が本当になりたいのなら、少なくともイメージや幸せとはこういうものだという、
自分なりの考えがなければ先には進めません。
イメージが明確でないという事は、目的が明確でないということにもなります。
もしも、目的がはっきりしていれば、どうすれば目的が果たせるのか、そのゴールと現状のギャップを埋めて行けばいいだけです。
そうなれば、目的を達成する手段、方法が分かれば解決します。
解決が分かっていても「そこまでして、やりたくない」とか「そこまではしたくない」とか。
要は腹が括れないのです。
反対に「何か・・・」や「何となく」の場合は、目的が分からないので、やり方も考えられないし、
どうすればよいかわかりません。
結局それも、明確に考えるという腹が括れないのです。
なぜなら、明確にするのは自分と向き合って、真剣に考えなければならないので、
結局は「考えるのが邪魔くさい」となってしまうのです。
或いは、他のことで時間を取られているので、ゆっくり考える余裕がない、という事なのです。
結果「なにもやらない」という所に落ち着いてしまいます。
「幸せになりたい」の幸せとは「現状維持」の事だったようです。
現状維持が一番安定。
現状維持が一番満足。
自分を変化させたり、考えたりするのが邪魔くさい。
だったら現状維持が一番良い。
と、なるのです。
私もそうだから、よくわかります。
しかし、そんなに明確でなくても、ほんの少し興味が湧いたことに対して、ちょっとだけやってみようかな。
と、足先を突っ込めば、思ったより大変ではなかった。ということがわかるかも知れません。
食わず嫌いと同じで、一口食べてみると思ったほど嫌な味ではなかった、ということが分かるのです。
それが分かることが進歩だと思います。
「思ったほどでは」が分かると、自分でカチカチにしていた肩の荷が下りて、
じゃあもう少しやってみようかなと、ハードルが低くなるのです。
これの繰り返しで、一歩一歩前に進めるのではないかと思います。
万が一途中で「やーめた!」となっても、そこまでは来れたのだから、そこまでの距離は事実として残ります。
その事実を増やしていけば良いのです。
それが積み重なれば、今度は思ったらすぐやれる自分になっていくので、
皮肉なことに「思ったらすぐやる」が一番楽になっているかも知れません。
「何もしない」私ですが、どうせなら「何かをすぐやる」楽さを選択してきたいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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