高い所から見るという事は、抽象度を上げるということにもなります。
抽象度が上がるということは、抽象的なので情報量が少ない。
抽象度が下がるということは、具体的なので情報量が多い。
というような説明が多いと思います。
これは、抽象度を上げるということは具体的な情報量を減らし、包括できる概念を増やすという事だと思います。
近年大規模の自然災害も増えています。
台風などの被害になると、地方単位で被害が出ます。
九州地方とか関東地方とか。
そうなると日本地図を思い浮かべて、この辺とかあの辺とかの捉え方をします。
しかし、それが自然破壊による現象だとすれば、日本のみならず、世界規模で捉える必要が出てきます。
地球温暖化によるものであれば、余計に地球規模で捉えなければ、解決の糸口が見つからないと思います。
そのような時、どこどこの国が悪いとか、どこどこの県が悪いとか言っても解決にはなりません。
解決するには、地球温暖化の原因になっている生活様式そのものを変えなければ、解決の糸口は見つかりません。
生活様式を変えるとなると、日本の○○県○○市○○町に住んでいる、私たち一人1人がかかわってくるのです。
私たち一人1人が、地球温暖化の原因を生みだしている生活様式を変えて行く必要があるのです。
今回のコロナウイルスにしても、最初は中国の武漢市で人々が高熱が出て肺炎になって死亡する。という事しかわかりませんでした。
しかし、それが日本でも発症し、国内のあちこちに広がって抽象度が上がってくると、コロナウイルスのことが少しづつわかってきました。
よって、各地で起きる様々な現象を予想したり、原因を理解するようになり、因果関係が観えてくるようになりました。
因果関係が観えることによって「マスク・うがい・手洗い・消毒」とか「三蜜を避ける」と言った対処法もわかってきました。
他国の状況もわかってくると、中国のコロナウイルスとヨーロッパのコロナウイルスの違いも分かってきました。
このように情報量が多くなると抽象度も上がり、より高い所から見ることができます。
そして多くの情報や事実を分析して、次なる対策を打つことができるのだと思います。
熱が出て咳が出て肺炎かもしれない。という具体例が、コロナウイルス感染という症状に発展していったのです。
今回、抽象度を早く上げて対策を練っていったのが大阪府だと思います。
コロナ対策だけではなく、経済活動、学校教育など色々な生活場面での対策を、高い所から見て手を打っていったのだと思います。
その見方は、高い所から見下ろしているだけではなく下から見上げた時も考え、結局は上から下、下から上へと、循環した視点で見ているから功を成しているのではないかと思います。
むしろ、多くの情報量の中から観えなかったものが観えるるようになり、的確な行動がとれるようになる。
問題解決能力が上がり、スピードも速くなる。
そういった効果があるのだと思います。
じゃ、また明日!