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私たちは時計と言えば、アナログにしろデジタルにしろ目に見える時計の事を指します。
瞑想や座禅などは大概目を瞑ってすると思うのですが、
20分と言われて、ピッタリ20分後に目を開けるのは至難の業です。
何年もやっていて慣れた人はピッタリに目を開けることができるかも知れませんが、
慣れていないうちはなかなかピッタリとはいきません。
タイマーやアラームで20分をセットすればと思いがちですが、
瞑想の場合、アラームの音すら、瞑想状態の邪魔をするので良くありません。
そうなれば、自分の体内時計を頼るしかありません。
私の理想は、お日さまと共に目覚めることです。
電気がない時代までは、お日さまと共に生活をしていたと思います。
幸いなことに、今週末までが一番日の出が早く、神戸では4時46分です。
日の出前の空はオレンジ・ピンク・紫など非常に綺麗です。
その綺麗さを見るために、今は日の出と共に目覚めます。
勿論アラームはセットしていますが・・・。
このアラームをセットするという事は、一種の依存です。
アラームをセットしておかないと起きられないという依存状態です。
理想は夜明けの気配で起きれるという、自分の体内時計です。
この体内時計で起きれるようになれば、自分のカラダと自然とが一体になれるのではないかと思います。
そうなれば、目覚まし時計のアラームに依存しなくても、自分のカラダをコントロールして、
目覚めの自立ができるのではないかと思います。
私は1年を通じて夜明け前にアラームが鳴る時計があればと思った時がありました。
なぜなら、毎日毎日1分から2分ずらしていくのが面倒くさいと思ったからです。
しかし、その時点では目覚めというものを、目覚まし時計に頼るのが当たり前と思っていたのです。
本当はそうではなく、せっかく持っている自分の体内時計を発揮して、
夜明けの気配で起きれるようになれば、毎日セット時間を変更しなくても良いのです。
自分が責任を持って起きる。という、主導権は自分にあるという事を忘れていました。
今迄は15分刻みで季節に合わせて目覚まし時計をセットし直していましたが、
自分のカラダを信じ、体内時計を発揮していこうと思います。
今までどうして外に頼ってばかりで、自分を頼ることに気が付かなかったのだろうと思います。
年齢的に言っても早く起きれる年代になってきたので、
ここらで体内時計を磨いてみます。
じゃ、また明日!