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私は自分の中ではリーダーと導く人との違いはあまり区別ができていませんでした。
今回、安倍首相と吉村府知事を見ていて、その区別ができました。
今迄、首相や各知事がニュースに出ていても、単なるニュースとして見ていました。
しかし、今回コロナに関しては、自分の生死にもかかわるからかも知れませんが、意識して見ていました。
普段ならあれだけ毎日のように出ていたら飽きてきていたと思うのですが、大阪の吉村知事に関しては、聞きたかったのです。
なぜなら、吉村知事の記者会見やテレビ局でのゲストとしての発言は、非常にわかりやすかったからです。
何故わかりやすいというと「目的」や「理由」を必ず説明していたから、わかりやすかったのだと思います。
最初はあまり気付いていませんでしたが、聞く回数が増えればそれがわかってきました。
その口癖は「なんでこれをやりたいかというと」「なんのためにやるかというと」「なぜこうするかというと」
など、なんのためにやるかという「目的」を必ず説明しています。
それを聞くと、聞いた瞬間「えー?」と思っても、その目的と理由を聞けば「なるほど」と納得してしまうのです。
今はまだ決まっていませんが「僕は9月開講論者ですが」と言って、何故9月開講が良いのか、4月開講ならどんな弊害があるのか、1つ1つ説明しています。
よくあるコメンテーターの「9月開講なんて無理ですよ」の一言ではないのです。
どちらにしろ、メリット・デメリットがあると思います。
その中で良い方法を選択すると思うのですが、吉村知事の選択の視点は「現在の子供たちにとっての、良い方法」です。
先のコメンテーターは「現場の事務処理が大変」「法律を変えるのが大変」であって、そこには主人公であるはずの「子供たちがいない」のです。
目的や理由を述べて、国民・府民を納得さすことができるのかどうか、そこに人がついていくかどうかの差が出ると思います。
アメリカのキング牧師は演説をするために何の宣伝もしないのに、25万人が集まってきました。
キング牧師はアメリカを変えるために何が必要かを説かず、自分が信じることを語りました。
「私は信じている、信じている。信じている。」と。
「彼が信じたこと」を信じた人は、彼の動機を自らの動機とし、他の人にも伝えました。
その伝えられた人が、またその動機を自らの動機として受け止め、他の人にも伝えました。
その結果が25万人の聴衆です。キング牧師の話を聞きたいから遠くからでもやって来たのです。
その25%は白人でした。
リーダーとは、権威や権力のある人で、聴衆は「そうしなければならない」という心境です。
導く人というのは、皆を動かす人で、聴衆は「そうしたいからする」という心境です。
導く人に従うのは、彼らのためにそうするのではなく、自分自身の為にそうするのです。
緊急事態宣言が解除されても、国民は手洗い・うがい・マスクはそのまま続けてやると思います。
それはコロナ第二波が来ても感染しないように、自分自身の為にそうするのです。
「そうしなければならないからする」のと「そうしたいからする」。
この差は非常に大きいと思います。
じゃ、また明日!