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世の中には「時間の世界」の人たちと「出来事の世界」の人たちがいるようです。
「時間の世界」の人たちは、スケジュールをきっちり立て、時間通りに動く事を大切にしています。
「出来事の世界」の人たちは、目の前の出来事を大切にし、それに応じて動くことを大切にします。
この違いは、日本人が海外転勤になった時、文化の違いから鬱状態になったりするのがこれだと思います。
日本だと、電車も会議もほとんどが決められた時間にきっちり始まります。
きっちり時間通りにすることが社会通年になっています。
よって、外国人が日本に来ると、時間通りに交通機関が動いていることに驚かれます。
反対に、知人の会社の人が海外転勤になった時、相手の方が打ち合わせにしろ何にしろ、時間通りに来られないので、病気になられたようです。
その国は1時間2時間遅れるのが当たり前。計画通りに仕事が進まなくても、別に問題ではないのです。
結果的にやろうとしていたことが出来ればそれで良い、という考え方のようでした。
よって、約束の時間に遅れたとしても「打ち合わせに来たのだから約束を果たした」という感覚です。
「来た」という出来事の世界です。
それらはどちらに重きを置くかの違いだと思います。
私自身、以前勤めていた時は、遅刻は以ての外だと思い、かなり早い目に出勤していました。
あるとき、出勤途中の駅のホームで、気分悪そうに座っていた方がおられました。
本来なら、声をかけて何とかしたいと思うのですが、その日は急いでいたので、気が付いていたけれど通り過ぎてしまいました。
しかし、誰かが声をかけて駅員さんに知らせていた可能性はあるとしても、職場に着いてもずっと気になっていました。
後日、休日に買い物へ出掛けた時、やはり駅のホームで座り込んでいる方を見かけました。
その時は声をかけて、駅員さんに知らせに行きました。
同じような場面にもかかわらず、出勤途中の時は「時間の世界」で生きており、休日の自由な時は「出来事の世界」で生きていたようです。
「時間の世界」の時は、効率的に物事を進められるかもしれませんが、もしかしたら、その時の目の前の大切な事に気が付かないでいるのかも知れません。
「出来事の世界」の時は、周囲の目やその時に捕らわれる時間よりも、自分の想いに基づいて行動していると思います。
よって、どちらが良いとか悪いとかではなく、その時その時の其々に目的があるという事です。
「遅刻したくない」という目的。
これは外部にある秩序、つまり、職場の遅刻をしないという秩序を重視している時だと思います。
「具合の悪い人を放っておけない」という目的。
これは、内部の動機、つまり、自分は放っておくことはできないという、自分の行動を大事にしている時だと思います。
私は、今までこの2つの世界を無意識に使い分けていたのかも知れません。
なぜなら、退職をしてからは、スケジュールを融通させることが増えたからです。
以前は、約束事を決める時でも、スケジュールが詰まっていたら「その日はダメ」と即答していました。
しかし、今は、自由時間なので、たとえスケジュールが詰まっていたとしても、その出来事をやりたかったら、先の予定を動かしてでもやろうとします。
そう思うと、出勤という縛られる時間が無くなってきた今の方が「出来事の世界」が増えて来たのかも知れません。
コロナウイルスでテレワークが増えてきました。
今迄、カラダが会社の建物の中にいたので、会社での仕事しか出来なかったけれど、
テレワークで自宅にいると、予定の仕事を終わらすことが出来たら、休憩がてらに洗濯機のスイッチを入れる事もできます。
それは「出来事の世界」が増えることに繋がるのかもしれません。
じゃ、また明日!