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4月のマスコミニュースでは「何とか1カ月は頑張ろう!」「5月6日までは乗り切ろう!」というのが聞こえていました。
しかし、緊急事態宣言が1カ月延長され、5月末までとなった今、それらの声に変化が出てきました。
「もうこれ以上は無理!」「先の見通しが全く立たない!」など、諦めざるを得ない状態です。
地震や自然災害の場合は日本の一部の地域なので、難を逃れた人々が被災地域の人々に手を貸すことが出来ました。
しかし、コロナウイルスは日本全体、地球全体レベルなので、誰も手を貸す余裕などないのです。
日本がまだ初期の頃は、他国の情報がどんどん入ってきました。
しかし、今、他国の情報どころか自国に火がついています。
コロナが治まって防疫生活に入っている台湾や韓国は別にして、まだまだ治まっていない国の人々も諦めの境地に入ってきていると思います。
今は、お金という道具に翻弄されています。
ウイズコロナでは、スピード感のある実行力が伴うリーダーが必要です。
それらを阻害しているのが、古い習慣、古い考え方、先を読めない能力、過去に固執することなどではないでしょうか。
今という現状の流れを素早くキャッチし、その流れに平行して対処して行かなければ、後々にツケが溜まるばかりです。
医療防具と同じで、必要な時に間に合わせていなければ、必ず犠牲が出ます。
治療するはずの医師や看護師さんが、コロナの犠牲になられています。
こういう緊急事態には、やる前から諦めの言動をする人は、人の命を預かる仕事に携わってはいけないと思います。
今、本当に困っている人々は「コロナに殺されるより、お金に殺される」と言っているのが現実だと思います。
お金という人間が作ったものに、人間が殺されていくのです。
武器と同じです。人間が作った武器に人間が殺されていくのです。
お金や武器の価値とは一体何なのでしょうか?
人々が生きていく上で必ず必要なモノでしょうか?
世界的にコロナが落ち着いてきた頃には、各国の対応が比較されると思います。
国民に希望を与え、犠牲を最小限に留めた国は大いに尊敬したいと思います。
そして、その考え方を今後の参考にしていきたいと思います。
コロナから与えられた苦悩は、時として「自分が生きる意味」「自分が生きる目的」を問われているような気がします。
それでもそこに「自分が意味を見つけだすこと」が出来たなら、希望は持てると思います。
ビクトール・フランクルは「夜と霧」の中で書いています。
あなたが人生に期待できないと思っているかもしれない。
人生に絶望しているかもしれない。
けれど、
人生のほうはまだ、あなたに期待を捨てていない。
あなたを必要とする何か、
あなたを必要とする誰かが必ずいるはず。
そして、その何かや誰かはあなたに発見されるのを待っている。
あなたが人生に絶望しても
人生の方はあなたに絶望することはけっしてない。
じゃ、また明日!