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コンサルティングやコーチングの文章を読んでいると「あえて何も言わない」ということをよく目にします。
「あえて答えを教えないのは相手のためだ」と。
確かに、依存性の高い人には、自分で考える癖をつけるために教えない方が良い場合があります。
しかし、そればかりで突っぱねていても効果が出ない時もあります。
そこまで考える能力がなかったり、考える習慣がなかったりした時、効果がでなければ元も子もない場合があります。
本日読んだ文章では、ある人が失敗した例を挙げてくれていました。
ビジネスのシーンで、後輩と二人で仕事先に向かっていた時アクシデントがありました。
自分は相手の能力を試そうと思い、何も言わなかったのです。
結果、相手が四苦八苦して何とか間に合ったけれど、相手は試されているのはわかっていたので、益々委縮してしまいました。
その後、自分は後悔の念が強くその相手とうまくいかなくなりました。
だったら、最初から答えを教えて考えさせた方が良かった。と、今でも悔やんでいるとか。
この中には2つの教えがあり、
「答えを教えた方が伸びる人か、そうでないか」を見極める必要があること。
「あえて言わない、答えを教えないのであれば、そのことによって生じる事に責任を持つ」ことが出来るかどうか。
答えを教える方は「答えはBだけれど、なぜそうなるのか証明してごらん」という導き方。
それをキチンと論理的に証明されている形でわかるように説明すれば、その人は答えがわかったことになります。
と、同時に、表現力や伝える力も養えます。
あえて言わない方は、それによって生じる事に責任を持つことが出来るかどうか。
相手が成長できなかった場合、自分が責任を問われるということを分かった上でやっているのかどうか。
先の例でいえば先輩と後輩二人一組で仕事をした場合、何かのトラブルに見舞われた時、あえて何も言わないでそのトラブルが解決しなければ、責任を問われるのは先輩です。
その時に「後輩が何も考えないからです」とは言えないということです。
「為すべき事を為さなかった責任を問われる」と、いうことになります。
こう考えれば、相手をよく把握した上で「あえて答えを教えない」のか、
そこまで考える能力がまだ達してない場合は「先に教える」という、使い分けが必要になってきます。
能力のある人は何も言わなくても自分で考えることが出来ます。
能力のない者はいくら時間をかけても、答えに辿り着くことはできません。
よって「相手を導く順序をきちんと考慮する」ということが大切になってくると思います。
たまたま新聞記事で、
一子相伝は「教えないこと」というのがありました。
桃山時代から続く茶碗の楽焼きの記事でした。
伝統を受け継いだり、師匠が弟子に伝えるのは「教えないこと」だと思います。
師匠の横で一から十まで何年も見ているから、答えを教えなくても会得して行けるのです。
師匠の生き方、先代の生き方を肌で感じ、その上で自分の生き方を生み出していけるのです。
これはこれで良いと思います。
しかし、人を導く場合、相手によって導き方を変えるというのも、大切な事だと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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