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知的であるということは、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、ということのようです。
知的であるというのは、学歴や職業、資格、経済状態というのを冠に持ってくるのとは違うと思います。
それらが人間として染み付いて、にじみ出てくる場合は別として、それ以前に人間としての態度に表れてくると思います。
異なる意見を言った時「そういう考えもあるのか」と聞く態度を持つ人と、
「自分への攻撃」として、噛みついてくる人。
自分の知らないことがあった時「知らなかったから学ぼう」とする人と、
「知らないことは恥」だと思い、それを隠して学ぼうとしない人。
人にものを教える時は「自分に教える力が必要だ」と思う人と、
「相手に理解する力が必要だ」と思う人。
知識というものは「損得なしに、必要なものである」とより多くの知識を得ようとする人と、
「なんのために知識を得るのか」と納得しなければ得ようとしない人。
人を批判する時は「相手の持っている智恵を高めるため」に批判する人と、
「相手の持っている智恵を貶めるため」の批判をする人。
これらからして、知的であるということは学歴や頭脳明晰であるということよりも、
一個の人間として、どういう人格を持っているのか、
自分自身の弱さと、どれだけ向き合ってきた人間なのかということだと思います。
そして、それらの主体はいつも自分です。
自分が相手に対してどうなのか、という態度で一貫しています。
相手に対して怒ってみたり、隠してみたり、相手のせいにしたり、軽蔑したり、批判したり。
これらは、相手に囚われた態度となってきます。
しかし、知的というのは相手がどうかではなく、自分自身の事だと思います。
自分が自分とどれほど正面から向き合っているのか。
それがにじみ出て「知的に見える」のではないかと思います。
そこに辿り着くまでには、大変な忍耐と自制が必要だと思います。
私も知的な態度がとれるよう、自制していきたいと思います。
じゃ、また明日。