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時を同じくして、17歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんに関連する記事を2つ目にしました。
1つは日経新聞記事で、
地球温暖化による暑さのせいで、2050年には世界の大都市の6割以上で、夏季五輪が開催困難になるという。
ゴア元米副大統領が訴えた「地球が死んでしまったら、仕事も何もない」のである。
米マイクロソフトはカーボンネガティブ宣言とともに、総額10億ドルの気候革新ファンドを創設するそうだ。
米国気候同盟と全米の主要大学は、人材、技術、資金の複合的な活用で提携している。
欧州の著名学者はこうしたネットワークを拡充するために奔走しており、
研究者のみならず、最高裁判所の判事たちまで「動き」出している。
日本は足元の生活と将来の環境との板挟みといえる。
次世代の環境を心配するグレタ・トゥンベリさん、大丈夫、大人も捨てたもんじゃないよ。
PRESIDENT Online では、中年男性が嫌悪する「物言い」の是非 という記事で、
海外でも、特に保守系の男性コメンテーターが「ヒステリックなティーンエイジャー」
「精神的に病的なスェーデンの子供」「中世の魔女」「お尻たたきの罰が必要だ」などと批判。
彼女がここまで忌み嫌われるのはなぜか?
ひとつは、彼女が「ティーンエイジャー」だったからだろう。
子供が見せる反抗的な言動は、大人にとって時にきわめて腹立たしい。
人を馬鹿にしたような挑戦的な態度で親の威厳を踏みにじり、理想論を振りかざして、主張の正当性だけを押し付けてくる。
女性の怒りが男性の怒りに比べ許容されにくいのは「これは明らかなミソジニー(女性軽視)」という解説もある。
女性が何かを主張するとき、大人しく、弱々しいと、相手にされず、
怒りをもって強く主張すれば「ヒステリーだ」と指弾されやすい。
グレタさんが青年であったならば、ここまでの反発は起きなかっただろう。
そもそも、気候温暖化を否定する考え方は、近代の工業資本主義を推し進めた男性優位的なアイデンティティと深く絡んでいる。
自然を征服し、大量生産・消費によって、生活を向上させるという近現代の工業化システム。
グレタさんは、そうしたマッチョな資本主義のシステムを否定したわけだが、同時に「(その主な担い手たる)男性の信念、価値観を攻撃し、その「自尊心」を傷つけた」のである。その結果として「自己防衛反応としての反射的怒り」を買ったというわけだ。
言い訳をして、問題から目をそらしてはいけない、というグレタさんの主張は正論である。
グレタさんの発言はリベラルと保守の溝をさらに広げてしまった恐れがある。
自分の日常を考えても「わかっていてもこの便利な生活や経済発展を捨てたくない」という考え方の人は多いと思います。
しかし、自然の恩恵を受けて食べ物や水で生きている人間は、この自然のサイクルを狂わせてはいけないはずです。
自分はよくても、自分の子供の世代・孫の世代のことを考えると、言い訳をして、見て見ぬふりをするのには限界が来ていると思います。
言い方云々・男性女性・大人子供、の見方が問題ではなく、グレタさんが何を訴えているのか。
それを理解できない大人は、もはや過去の人間だと自分では気づいていないのかもしれません。
私は「大丈夫、大人も捨てたもんじゃないよ!」と言えるようになりたいです。
じゃ、また明日!