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私たちは「手放す」というと、不安に駆られます。
何かを失うのではないか。何もかも無くなってしまうのではないかと。
若さを手放すと、老いるのではないかと一生懸命若作りに囚われる。
健康を手放すと、不健康になるのではないかと、あれはいけないこれはダメとマスコミの情報に囚われてしまう。
本当にそうでしょうか?
人間だれしも、生まれたら老いの方向へ行くのが命というものだと思います。
人生後半に入ると、その年代その年代を素直に受け入れ、何事にも執着しないで生きる方が、若々しく生きていると思います。
「手放す」というのは、表面的な自分に執着しないで自分自身を手放し、自分以外のものの為に生きていく。
それが本当の自分の人生の始まりではないでしょうか。
見返りを求めず、誰かの為に一生懸命何かをする。
そうした時には、見返り以上のものが自分の心に宿すと思います。
生きがい、満足感、幸せ感。
見返りを求めなければ、相手に対する行為はより一層相手に通じて、自分も幸せを感じることが出来ます。
「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」
という言葉がありますが、往々にして、困った時は相談に来るけれど、順調に行き始めると、電話1本も掛かってこなくなります。
人間というものは、そんなものです。
よって「便りのないのは元気な証拠」と受け流し、逆に自分が受けた恩は、一生忘れずに覚えておく。
そうすれば、人の心の深さがよくわかるようになり、人の為に生きれるようになると思います。
若さだ、健康だ、憎しみだと執着している時は、ベクトルはそれにこだわっている自分に向いています。
それらを手放し、執着から解放された時、人を喜ばせることにベクトルが向き、自分の人生が楽しくなるのだと思います。
人は誰かの為に何かを一生懸命喜んでしている時、一番自分が自由で居られるのだと思います。
見返りを求めず、人様の役に立つ。そういう人生でありたいと思います。
じゃ、また明日!