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お正月というと、年賀状やメールで旧友との挨拶交換があります。
私も1通、教えられるメールがありました。
彼女は次から次へと地域のボランティアを頼まれてやっているのですが、昔々、私が何気なく言った言葉を律儀に守って、お母様を介護しながらも頑張っています。
私もその頃は色々頼まれてボランティアをやっていたので、自分に言い聞かせる為にも「頼まれごとは試されごと」と、言った覚えがあります。
彼女はボランティアを頼まれるたびにどうしようかと思っても、私の「頼まれごとは試されごと」を覚えていて、いつも引き受けて頑張っています。
そして、一生懸命頑張っているから、支部長も引き受け(させられ)色々思う所はあるにせよ、現在も頑張っています。
その中で私が教えられたのは彼女の言葉です。
「前任者から申し送りも無い、0からの出発は暗闇の中を進むようでしたが、闇の中でもぶつかるものがあれば、それが解決の糸口になるもんで。」と、ここでも昔々の私の「頼まれごとは試されごと」を念頭に頑張ってますよ!と。
普通、地域性のあるボランティアなら、今まではこうでしたというものは引き継ぎとしてあると思います。
それが前任者から何も無いという事は、自分で考え、自分で行動しなければならないという事です。
よって、0からの出発は暗闇の中を進むしかないと思います。
暗闇の中を手探りで進むと、当然何も見えないわからないから、ぶつかるものが出てきます。
大概の場合はそこで嫌気がさして「やーめた!」となってしまいます。
しかし、そこで自分が試されていると思い、自分との戦いによって何とか解決しようとするから、そのぶつかったことが解決の糸口になっていったのだと思います。
これは、なまじ前任者からの引き継ぎがあると、それが先入観や慣習となって、その視点からの出発しかできなかったと思います。
よって、その上に立った解決はその視点からの解決しか思い浮かべられません。
しかし、0から自分で考えるという事は、今までの考え方と違う見方、考え方が出来たのだと思います。
違う視点で見れることが出来たから、当然ぶつかるものがあったとしても違う解釈をし、違う解決法が見えたのだと思います。
解決の糸口は、彼女自身が引き寄せた結果だと思います。
長年、色々なボランティアを引き受ける事によって、その1つ1つの経験が、彼女の中で本質を見る目を養えたのだと思います。
まだもう少し頑張って引き受けるようですが、折角の能力を大いに発揮して欲しいと思います。
時間が無い中でそのように活躍している彼女を、心から尊敬したいと思います。
じゃ、また明日!