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神戸新聞で認知症を取材した記事が連載されています。
患者家族やお医者さん、施設など、認知症を取り巻くあらゆる角度からの取材を掲載しています。
高齢者向け賃貸住宅「もくれんの家」では、認知症のある男女4人が共同生活を送っています。
食事や入浴は、近くの小規模機能型居宅介護事業所「さくらホーム おおの家」のサービスを利用します。
訪ねて来た家族と会ったり、公民館の体操教室に参加したり、近くの美容院に行ったり。
できる部分は自立しながら、地域のコミュニティーの中で生きる。
認知症の進行が遅く、介護度が下がった人もいるとか。
毎朝「おおの家」のスタッフが見守りに行き、苦手な所はフォローする。
そして、入居者の多くが「もくれんの家」や「おおの家」で最期を迎える。
家族のいない人にとっては、理想的なシステムだと思います。
最期まで、出来る部分は自立しながら、地域のコミュニティーの中で生きるのは、win-winの関係だと思います。
なぜなら、そのような生きる姿が、色々な人に気付きを与えるからです。
「おおの家」の副施設長で看護師の方は、
病院に勤めていた頃は、認知症の人は『困った人』だと思っていた。
しかしそれは、カラダの一部しか、病気しか見ていなかった。
介護の世界で働くようになって、その人の全部を見るんだってわかった。
認知症の人は『困った人』じゃない。
忘れたり、言う事を理解して貰えなかったりするけれど、その人が困った人なんかじゃない。
接していた私が困っていただけなの。
と、語っています。
素晴らしい気付きだと思います。
何事もそうですが、見る角度によってマイナスに見えたり、プラスに見えたり。
それによって自分の行動も変わってきます。
最近では、認知症の人や家族、地域の人が集える「認知症カフェ」も増えつつあります。
反対に、認知症の方が働く「注文を間違える料理店」もポツリポツリと増えつつあります。
お客側もわかっているので、違った注文を持って来ても「それじゃない」と言えば、
働いている認知症の方も「間違えちゃった!」で笑える話。
見方が変わると、自分の反応も変わってきます。
すべての事は、相手が『困った人』ではなく、自分が『困っていただけ』なのですね。
じゃ、また!