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本日あるメルマガで、これが教育現場?というようなものを目にしました。
『教育基本法第一条(教育の目的) 本条で規定している「教育の目的」とは何か』によると、
教育の目的は、A:人格の完成をめざし、
B:平和な国家及び社会の形成者として、心身ともに健康な国民の育成を期すること。
「人格の完成」:個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の備えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること。
真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。
人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な基準によって、そのあるべき姿にまで持ちきたすことでなければならない。
5日前にUPされていた現状を見ると、驚いてしまった。
★多分、名前を入れる問題で□□に文字を入れさす問題ですが、
生徒の答え:はと・・・X
先生の答え:「は」の縦線(|)に印をつけて、『はねる』と書いてありました。
楷書ボールペン練習帳では、確かに「はねて」います。
そこまで教えるのなら、先生の見本の文字も、はねて欲しいものです。
先生の「は」の文字は、生徒と同じく『はねていません』でした。
「はと」という答えは正解の筈だと思うのですが・・・。
★時間がたつと、かげのむきがかわるのはなぜですか。
生徒の答え:地球が回るから(太陽が東から西にうごいて光も太陽と同じ方向にうごくから)・・・X
先生の答え:太陽が動くから。(学習した事を使って書きましょう。)
これって、生徒が地動説の考え方で、先生が天動説の考え方?
今の教育がそうなっているのとは知りませんでした。
★ゆきこさんの家から えきまで30分かかります。8時50分にえきにつくには、家を何時何分に出るとよいですか? りゆうも かんがえましょう。
生徒の答え:8時15分に出るとよい。(8時20分だと、ギリギリであせるとあぶないから。)・・・X
先生の答え:8時20分に出るとよい。(理由なし)「ギリギリであせる」部分に赤線を入れて赤/
社会に出ると、何事もギリギリではなく、準備力が必要な筈です。
アクシデントを考えて、アポイント時間には早く出る筈です。
生徒の書いている「ギリギリであせるとあぶないから」は色々な事を想定して非常に重要な考え方なのに、どうして先生は理由も書かずに8時20分とするのでしょうか?
8時20分として8時15分をXにするなら、計算式の練習としての答えは8時20分だけれど「ギリギリだとあぶないから、5分早く出る考え方は良い考え方です」と理由の所になぜ書かなかったのでしょうか?
計算式の練習だけなら、何時何分に家を出るとよいでしょう。で、なぜ止めておかなかったのでしょう。
「りゆうも かんがえましょう」と書くのなら、生徒の答えも合っていると思います。
上記「教育の目的は、A:人格の完成をめざし、」と言う部分を、どのように解釈すればよいのでしょうか?
子どもの芽をつむ教育はしないで欲しいものです。
じゃ、また!