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私は「そんな事も知らないの?」と、よく言われます。
確かに知らないことが多すぎます。
以前は「知らないものは知らない」的にふてくされた部分がありましたが、やはり大人としての態度ではありません。
知らない場合は相手の話をよく聞き、受け入れて知っていくのが筋道だと思います。
「知らない」の中には「知りたくない」「わかりたくない」心理が働いていると思います。
もしも、知ってしまったり、わかってしまったり、理解出来てしまったら、
「自分にとって都合が悪い事にも向き合わないといけなくなるから」です。
そして、それがわかってしまうと「知らなかった」自分に戻る事が出来なくなるからです。
よって「知らない」「わからない」ことにする事で、自分の心や現状を維持しているのだと思います。
現在は「知らない」→「知って行こう」という方向に向いていますが、まだまだ自分から逃げている所があると思います。
自分の事では気付かなかった事が、東須磨小学校の校長・前校長のインタビューの発言を聞いていると、
事実を認めたくない。知れば自分の嘘がばれる。嘘がばれたら大変な事になる。という心理が働いているのがわかります。
それともう1つ「知らない」は、責任逃れの言い訳でもあると思います。
最初から自分のミスを認め、謝罪する方が問題を大きくしないで済んだと思います。
何日も経ってから記者会見をし「知りませんでした」「私が甘かったです」と言われても・・・。
「知りませんでした」→「私のせいではない」→「私の力ではどうすることも出来ませんでした」「わたしには能力が無い」
と、言っているようなものです。
これで校長という立場の仕事をしているというのでしょうか。
校長という立場なら、すべては自分が責任を持つ。という気構えで仕事をすべきではないのでしょうか。
その気構えに自信が無ければ、校長職を引き受けるべきではないと思います。
今回の東須磨小学校の件では「人の在り方」として、非常に勉強になる事が満載です。
「人の振り見て我が振り直せ」で、色々自己と向き合うきっかけを頂きました。
じゃ、また!